タイとベトナムで現地市場を開拓。国内市場縮小の窮地からV字回復
冷暖房機器や給湯器、輸送機器、厨房機器などに使われるパイプから、公共施設の景観パーツやレジャー用品に利用されるパイプまで、パイプのことなら何でも手掛けるカイセ工業。しかし、取引先の海外シフトで一時は窮地に陥る。
そこから同社を救いV字回復に導いたのは、海外進出への決断と国内工場の改革だった。
三菱金属を経て1987年にカイセ工業に入社。
89年6月取締役、97年3月代表取締役専務、
2002年10月代表取締役社長に就任。
町田商工会議所常議員、町田・相模原経済同友会委員、町田優良法人会監事なども務める。
- 主な事業内容:
- 各種産業向け金属パイプ加工と付随する切削加工・溶接加工、プレス加工
- 所在地:
- 東京都町田市
- 創立:
- 1961年
- 従業員数:
- 650名(海外拠点含む)
パイプのことなら何でもご相談ください――。どんな難しい注文にも「できない」とは言わず、1本から数百万本のオーダーまで応える。そんな姿勢でお客様のニーズに応えてきたのが東京・町田に本社を置くカイセ工業だ。
今では世界中を市場と捉えるグローバル展開を行っているが、苦しい時期もあった。同社を窮地から救い、V字回復に導いたのは、現社長の貝瀬緑氏だ。その取り組みが評価され、2018年度に日刊工業新聞社主催の第36回優秀経営者顕彰・女性経営者賞を受賞した。
同社は1961年に、貝瀬社長の父親である貝瀬収三氏が創業。以来、冷暖房機器・給湯器・厨房機器・医療機器・車両・船舶などさまざまなパイプ加工を手掛けてきた。とくに冷暖房機器や給湯器の小型化が進む中で限られたスペースに配管できるパイプ加工の分野で強みを持っている。その技術は高く評価され業績を順調に伸ばしていったが、取引先からの値下げ要求なども強くなり、コストダウンが必要になっていた。
徹底した現場主義で生産性向上に取り組む
そんな中、貝瀬緑社長は87年に入社した。32歳のときだ。当初は経理部門を担当したが、支出の数字を見ていると消耗工具費用などが異常に高いことに気付いた。理由を知るため工場を回ってみると、構内喫煙や消耗工具のずさんな管理が目につき、現場改革に乗り出した。
貝瀬社長は当時をこう振り返る。「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)の中でも特に整理・整頓の2Sと生産管理を徹底し、コスト削減に取り組みました」
また、工場のレイアウトを大幅に変更して作業効率を高めるなど、お客様からのコストダウンの要請にも対応した生産体制を確立していった。
現場の改革によって生産性の向上は果たしたものの、新たな課題も降りかかってきた。取引先が海外シフトを始め、国内需要が落ち込んでいったのだ。このままでは生き残れないと考えた貝瀬社長は、2001年に海外への進出を決断した。ただ、社内には海外に精通する人材がいない。そこで、貝瀬社長は、自らが現場で陣頭指揮をとるスタイルで計画を進めた。
現在タイには、日本の自動車各社が大規模工場を稼働させているが、当時は日系企業が進出を始めたばかり。同社のような中小のパイプ加工の企業は数社が進出しているだけだった。
数十万種というパイプ加工製品を作り
続けている。
一般的に中小企業は、取引先に請われて海外進出するケースが多い。設備投資は必要になるが、進出すれば現行取引先の需要が確保されているため、自ら現地市場を開拓する必要はない。しかし、貝瀬社長は「現地で起業するつもりで進出する」と宣言して、取引先も一から開拓することにした。
父と二人三脚でタイへの進出を準備していた貝瀬社長だが、日本とタイを忙しく行き来していた父が突然病床に伏してしまった。意思を引き継いで社長に就任したのは02年のことだ。貝瀬社長が経営のすべてを担うことになり、タイの現地法人だけに集中することができなくなった。そこで現地を任されたのは貝瀬社長の長男で現常務の貝瀬龍馬氏だ。
「当時、日系企業からタイに来ているのは40代、50代の部長クラスばかり。私のように20代前半の日本人はほとんどいませんでした」(貝瀬常務)
当初は親会社から仕事をもらうなどしてしのいだが、並行して現地企業にも売り込む必要がある。そのためには言葉の壁を乗り越えなければならない。当初は日本人スタッフ2名に対して現地通訳を3名雇って対応していた。現地スタッフとも通訳を介してコミュニケーションを図っていたが、何か様子がおかしい。
「こちらが真剣に間違いを指摘してもみんなニコニコしているのです。通じていないんだな、と思いましたね」(貝瀬常務)
結局、自分でタイ人スタッフと信頼関係を構築すると腹を決めて、通訳は退職してもらった。貝瀬常務はすでに進出していた日系企業の紹介を受けて現地の家電メーカー、自動車部品メーカーなどを訪問し、「金属パイプのことなら何でもできます」と売り込んだ。現地のお客様が増えることで、さまざまな情報を仕入れることができるようになった。タイでの自動車生産、エアコン生産も急速に伸び始めたこともあり、同社のビジネスも拡大していった。その後、11年にはベトナムにも現地法人を設立した。
国内4工場を新潟に集約。さらなる生産性の向上へ
400名の従業員が働いている。
タイ国内で事業拡大を進める一方で、貝瀬社長はさらに生産性の改革に取り組んだ。まず、国内の4工場を新潟工場1カ所に集約することを決断。これらの取り組みが功を奏し、V字回復を遂げたわけだ。
同社のパイプはさまざまな業界で使われているが、とくに多いのが石油・ガス給湯器。コロナ、ノーリツなどに納品している。また、自動車向けも売上の3割程度を占めており、ティア1サプライヤーを通し、ほとんどの自動車メーカーで同社のパイプが使用されているという。
一方で、エアコン、冷蔵庫などの家電製品向けや、公共施設の景観パーツ、レジャー用品、インテリア用品など、時代のニーズに合わせてさまざまな分野にフィールドを広げている。
貝瀬社長は「時代とともに専門分野のパイプ加工屋からパイプの百貨店に進化してきたのです」と表現する。
特定の会社と取引を深めると、大量生産が可能な部品も容易に受注できるようになる。ところがそれは一時的にはメリットになるが、いずれ価格勝負になってしまう。その仕事を失ったときのダメージも大きい。同社は特定の会社に依存せず、同じ業界内でもさまざまな企業と広く取引することで、安定的な売上を確保している。また、比較的少量で加工の難しいパイプを積極的に引き受けている。効率はよくないが、他社では生産が難しいものが多くなるため、息の長い取引になるのがメリットであり、カイセ工業が国内拠点の縮小を経験し辿りついた経営戦略だ。
現在、同社の強みは大きく分けて二つある。一つは新潟工場を筆頭にタイ、ベトナムと国内外に三つの拠点があることだ。たとえば、高い技術を要するパイプや生産を自動化できるパイプは新潟工場で担当し、価格勝負になるパイプや人手がかかる大量生産品はタイやべトナムで担当するなど、臨機応変の対応が可能になっている。国内4工場体制の時代は、どこの工場でも高い技術力を必要とするパイプを製造し、地元の企業に納品していたため、工場間の機能の棲み分けが難しかったが、現在は製品の特性によって工場を使い分けることで生産性が向上している。
現在、国内市場での売上比率は給湯器関連が約70%、エアコン関連が15%、車両関係が5%で残りがその他となる。一方でタイは車両関連が70%、エアコンが15%、残りがその他。ベトナムは給湯器関連が50%、医療関連が35%、家具関連が15%。国によって違う売上構成も経営の安定化に役立つ。
もう一つの強みは、活躍するフィールドが広がり、さまざまな業界と取引があることだ。それが新しい仕事に生かせる。たとえば、自動車向けの新しいパイプの開発案件があったときに、給湯器で培った技術が生きることもある。業界をクロスオーバーさせた提案が可能になるわけだ。それがまた同社のフィールドを広げることにもつながっている。
失敗を恐れず挑戦し技術とノウハウを蓄積
110名の従業員が働いている。
V字回復を実現した背景には、貝瀬社長の「やらずしてあきらめるな」の精神がある。多くの企業では、営業部門と製造部門は対立しがちな面がある。営業が新しい仕事を獲得してきても製造部門は「そんなものはできない」と拒否する関係だ。それでは新しい技術もノウハウも手に入らない。貝瀬社長は、全力で取り組むこと自体に価値があると考えているから、失敗を恐れない。万が一、新商品の開発に途中で挫折したとしても、技術の底上げにつながればいいわけだ。新しい商品の開発などは同社の生産技術部門が担当しているが、営業から難しい注文が来たときには、「失敗してもいいからやりなさい」と後押しする。
最近のチャレンジには、フェライトを素材にした薄肉菅の加工がある。通常はパイプの先端部に別のパーツを組み合わせて作るが、先端部分も一体で成型できれば、コストが下がり生産効率もアップする。しかし、フェライトは割れやすく加工が難しい。切断、端末加工、曲げまで、素材に極力負担をかけないように工程と金型を設定しなければ、割れの原因となる。結局、切断の方法を考えるだけでも1年ほどかかったが、最終的には安定した量産体制の構築にこぎつけた。
「営業はお客様から今の技術レベルよりも難しいリクエストを頂戴し、それを生産技術が形にする。製造が量産・
貝瀬社長は社員に任せることも重要だと考えている。中小企業の中には常にトップダウンで物事を決めていく会社も多いが、それでは社員の思考が停止して受け身になってしまう。順調な事業は現場の判断に任せて、自ら考えて行動できる社員を育成している。一方で新たなビジネスの種を見つけ集中して取り組む必要があるときは、トップダウンで一気に社員を引っ張っていく。現場の力を最大限に生かしながら、経営者としての決断も明確に行っているわけだ。
外国人材の受け入れで地元に貢献する
地元魚沼市に貢献できる会社を
目指している。
これまでは日本の技術をタイやベトナムの現地スタッフに伝授してビジネスを拡大してきたが、今後はタイやベトナムの企業文化を持ち込んで、国内の課題解決につなげたいと考えている。
日本の工場にはベテラン技術者が多く、高い技術力がある一方、現場の細かなノウハウはこれまで暗黙知となっていた。しかし、ベテラン技術者の老齢化が進み、外国人の労働者も増えている中で、暗黙知のままでは技術伝承が難しくなっている。そこで、形式知化することが求められている。
一方タイでは作業手順がマニュアルに落とし込まれているなど、形式知化が進んでいる。同社はタイで学んだ形式知化の方法を日本に逆輸入して、技能伝承の問題を解決する方法を模索している。
タイ、ベトナムから実習生を受け入れて
おり、約4人に1人が外国人。
人材の受け入れも始めている。実習生制度を利用し、タイ、ベトナムからエンジニアを30人ほど迎えている。新潟工場のスタッフは130名程度なので、4人に1人程度を外国人が占めていることになる。それは地元魚沼市への貢献にもつながっているという。
「弊社の外国人はとても明るいので、地元のスーパーマーケットでスキップしながら買い物をする姿を見かけます。それだけでも明るくなりますよね。その子たちが働きやすい職場とルール、使いやすい設備を作ることは、弊社の命題です。わかりやすい工場になること、仕事をわかりやすくすることは、日本人の技術継承にもつながりますよね」(貝瀬社長)
魚沼市は高齢化と人口減少が大きな課題になっているが、外国人社員が地域を明るくすることに少なからず貢献してくれている。新潟工場の日本人スタッフと結婚する外国人社員も出始めているという。地元に貢献できる企業になることで、カイセ工業で働いていることを社員が自慢できるような会社にしたいと、貝瀬社長は考えている。
教育を継続的に行っている。
一方で研修を終えたタイ人やベトナム人が現地に帰ってから、再び同社の現地スタッフとして働いてくれれば、強力な戦力となる。
「ベトナム工場は現在110名ほどスタッフがいますが、研修を終えて戻った子も6名いて大活躍してくれています」(貝瀬社長)
今後は国内外の3拠点を軸に世界中に同社のパイプを提供していく計画だ。すでに貝瀬社長自ら米国や東欧、オセアニア、東南アジア各国等、世界中を飛び回り、市場調査と同時に取引先のキーマンと接触して新規クライアントを獲得している。
同社は職場の2Sと礼節を基本方針にしている。とくに貝瀬社長は「おはようございます」「ありがとうございます」「すみませんでした」を声に出して言うことを重視している。それが最終的に現場力を高め、最高のサービスをお客様に提供し続けることにつながるからだ。どこの国でもぶれない基本方針があるからこそ、国内から海外へ活躍の場を広げても、お客様の支持を集めているのだろう。
東京中小企業投資育成へのメッセージ
若手経営者会から始まり、タイSBICクラブまで、投資育成によって知り合った経営者の方々は、私に大きな影響を与えてくれています。投資を受けたことにより、良いセミナーに参加することができ、業界の中にいるだけでは知り得ない多くの情報とご指導をいただき感謝しています。
投資育成担当者が紹介!この会社の魅力
横山将士
貝瀬社長は、国内事業で拠点見直しと販路開拓を進めるなど、厳しい環境下で会社を立て直した苦労人。それに加えて、海外での事業を伸ばすために世界中を飛び回り、休むことなく走り続けている方です。貝瀬社長の行動力とパワーは周りを元気にする力もあり、明るい社風を作り上げているように思います。
今後、少しでも近くに寄り添って、応援していきたいです。
機関誌そだとう202号記事から転載