「100億の壁」を超える、躍進の成功方程式

OEMからPBへ。オールマイティに進化

~諦めずに技術力を高め、徹底したコスト管理で市場に対応していく……~

CASE②ミツエイ株式会社

 

経営不振にあえぐ父親の会社を引き継ぎ、再建に挑むも、半年後にあえなく倒産。残った3人の社員とわずかな機械設備をもとに、再起を図る。新規事業に進出し、多くの苦難を克服。半世紀後の2023年、ついに100億円企業にまで成長を果たした──。

「キッチンブリーチ」などの漂白剤を主力とする総合洗剤メーカーのミツエイは、自社ブランド商品のほか、大手総合スーパーやドラッグストアのPB商品、洗剤メーカーのOEM生産を数多く手がけてきた。

 

 

次亜塩素酸をベースとした商品をはじめとする、ミツエイNB商品の一部。
2021年3月には新工場を設立し、化粧品・医薬部外品の増産体制を築いた

 

中堅・中小企業ながら、国内の漂白剤市場ではトップの花王に次ぐ2位につけ、業績は好調。2024年度の売上高は前年同期比約16%増の120億円と、2年連続で過去最高を見込む。同社の安部徹社長は「さまざまな危機がありましたが、諦めないで続けてきたことが、当社がここまで飛躍した大きな要因でしょう」と語る。

 

安部 徹社長

ミツエイ株式会社
主な事業内容:
ハウスホールド製品および業務用製品、化粧品、医薬部外品の製造販売
本社所在地:
福島県いわき市
創業:
1969年
従業員数:
300人

ミツエイの前身は、安部社長の父が経営していたアクリルプラスチックを再生する会社だ。安部社長は大手化学メーカーの技術者だったが、業績悪化に苦しむ父の要請に応じ、職を転じた。だが、半年後に行きづまってしまう。そこで1969年、新会社である三津栄化学(現・ミツエイ)を設立し、父の事業を引き継いだ。社員3人の静かな船出だった。そこから2年ほどして、最初の転機が訪れる。プラスチック再生で取引していた洗剤メーカーから、酸性系トイレ用洗浄剤のOEM生産という話が舞い込んだのだ。

安部社長は大手化学メーカー出身だけに、化学の知見があった。しかも、ここで父の事業が活きることになる。当時、洗剤メーカーはボトル容器を専門業者から仕入れるのが一般的だったが、ミツエイはプラスチックボトルの成型を手がけていたことから、洗浄剤と容器をワンストップで生産することができた。これによって、同業他社に比べ商品力とコスト競争力で優位に立ったのだ。

トイレ用洗浄剤の生産受託を契機に、売上は安定的に伸びていく。そんな中、さらに飛躍のきっかけがやってきた。塩素系漂白剤への進出だ。当時、大手洗剤メーカーが相次いで、次亜塩素酸ソーダを原料とした新たな塩素系漂白剤を売り出し、マーケットが急拡大していた。
「従来の漂白剤は、漂白と殺菌という2つの効果しかなかった。そこに汚れを落とす“洗浄効果”を加えた画期的な商品が登場したことで、市場に大きな変化が訪れたのです」

ミツエイにトイレ用洗浄剤を生産委託していた洗剤メーカーも同市場へ参入、ミツエイがOEM生産を請け負うこととなる。

ところが、市場ではトラブルが頻発。塩素系漂白剤の原料である次亜塩素酸ソーダは、化学的に不安定な性質があり、取り扱いが難しい。メーカー各社が参入し始めた当初、化学反応でプラスチック容器やキャップにヒビ割れが起き、中の液体が漏れ出す事故などが多発し、撤退する洗剤メーカーも少なくなかった。

ミツエイも状況は同じで、キャップのヒビ割れ事故が発生。安部社長は「あまりにクレームが出るから、夜中、夢にまで見るくらいで、漂白剤から撤退しようかと思ったこともありました」と述懐する。実際、OEM供給先の洗剤メーカーに、数千万円の損害賠償金を支払ったこともあったという。
「当時、当社の利益は1000万円程度でしたから、支払いには非常に苦労しました。私が直談判して、年賦にしてもらったこともあります。それでも、製造責任は当社にあるのだから、逃げることはしなかった。結果的に取引先からの信用が深まり、今も良好な関係を続けています」

こうした困難にも、トップ自ら絶えず立ち向かってきたことで、ミツエイは技術力を高めるとともに、多くの生産ノウハウを蓄積することができた。特に問題が多発していた容器については、もともと専門分野である。培ってきた製品力が評価され、業界内で認知されていく。これが、同社が成長する原動力となった。特にPB分野での躍進が目覚ましい。

ミツエイが最初に手がけたPBは、国内トップレベルの大手総合スーパーで販売される漂白剤だった。
「先方の技術責任者が、工場へ見学にきました。品質や生産力を、その目で確かめたかったのでしょう。最初は品定めするような雰囲気でしたが、私も技術者ですから、専門的な話をしたらすぐに意気投合し、採用が決まりました」

このPBこそ、ミツエイ発展のエポックメーキングだったといえる。なぜなら、スーパー最大手に認められた会社ということで、ミツエイの認知度、その製品に対する信用度がさらに大きく高まったからだ。それによって、多くの企業から引き合いがくるようになる。また、市場環境の変化も追い風になった。次亜塩素酸ソーダの漂白剤をベースにしたさまざまな派生商品が登場してきたのである。泡状の漂白剤スプレータイプ、洗濯槽クリーナー、パイプクリーナーなど、商品展開が多様化する中、ミツエイもさまざまな商品の生産に挑戦し、対応していった。

現在、ミツエイの売上高に占める割合は、PBが全体の約50%、OEMが約30%、自社ブランド商品が約20%だ。近年、特に伸びているのがPB分野で、今や大手総合スーパーやコンビニエンスストア、ドラッグストアなど、多くの量販店にPB製品を供給している。

 

(写真左)漂白剤やその派生商品だけでなく、日用品や化粧品・医薬部外品などの多様な製品開発を自社で行う
(写真右)さらにキッチンブリーチなどは生産ラインを完全自動化し、コスト削減による競争力向上を実現している

品質とコストを追求し、絶えず競争力を高める

前述したように、ミツエイは不安定な化学物質を安定的に管理・供給できることに加え、キャップを含めたボトル容器の成形、洗剤の製造、充填、梱包までを一気通貫で行うことができる。これによって生産性を大幅に高め、高品質かつ低コストを実現しているのが大きな強みだ。

内製化することで、PBやOEMに対する細かな要望にも迅速に対応できる。安部社長は、この品質とコストの追求を最重要視し、生産ラインの自動化、効率化に注力してきた。ボトル容器を充填機のラインに乗せる工程などを除けば、生産ラインはほぼ完全自動化しているという。

さらに現在、ボトルやキャップの成形に使う金型を内製化する研究を進めている。従来、金型の製作やメンテナンスは、金型メーカーに依頼していたため、費用も時間もかかってしまう。内製化することで、さらなるコスト削減を実現する狙いだ。
「簡単ではないですが、やっとメドがついてきました。最終的には、スプレータイプで使うトリガーの金型も内製化したいと考えています」

ただ、なんでも内製化すればよいというものでもない。実際、洗剤業界では近年、ボトル容器に代わって詰め替え用のパウチ容器需要が増大しており、ミツエイではパウチ容器も内製化に成功した。しかし採算面から、容器は外部調達し、コストが高くなりがちなキャップ部分だけを自社で製造することにしている。

そのほか原材料の調達についても、海外から自社で直輸入するなど、コスト削減に余念がない。
「安定供給の問題もありますから、リスク分散を考え、全量を直輸入にはしません。ただ、一定量を切り替えるだけでも、年間1億円程度のコストを低減できるのです」

同社が100億円企業になったポイントを、安部社長は「PBの急速な伸び」だと評価するが、その背景にはコスト削減へのたゆまぬ努力と、それに裏打ちされた競争力の高さが存在しているのだろう。

「しっかりとコスト管理をして、価格を抑えても利益が出る体質づくりを続けてきました。私は倒産から出発しましたから、同じことは絶対に繰り返しません。当社の社是にも『利益の追求』を掲げていますが、出た利益は生産設備や研究開発へのさらなる投資と、社員への還元に充てる。利益なくして、会社の存続と成長はありえないと私は考えています」

 

配合エリア(写真上)は、デスクからタブレットで遠隔操作できる配合管理システムを構築(写真左下)。
また、QITECシステム(写真右下)で配合ミスや誤投入を防止しながら、
在庫や配合過程の情報を追跡するトレーサビリティーを実現

常に上を目指すべし!売上100億円は通過点

売上100億円を超え、新たなステージへ進んだ今、安部社長は将来的な会社のあり方について考えることが多くなったという。特に、次世代を担う経営人材の育成を急ぐ必要があると危機感を募らせる。

「技術面を含めた、経営人材の育成は目下最大の課題です。もっと早くから進めておくべきだったと、反省しています。私の年齢的な問題もあるので、権限をどんどん委譲していかなければならない。昨年、研究開発部門と生産部門の社員3人を役員に昇格させました。最近は役員会議でも、私はなるべく答えをいわないようにしています。自分たちで考えてもらうために、私は一歩引いて、アドバイスをするだけに留めるよう変えているのです」

そうして描く会社の未来として、同氏はさらなる成長を目指す。売上100億円は、通過点に過ぎない。
「経営者としての私の信条、信念は、1つの目標を達成したら、次の高い目標を目指すというものです。社員にも『これでいいと思ったら、そこで成長が止まってしまう。だから常に上を目指さなければいけない』と伝えています。会社の売上も120億円で満足したら、それ以上の発展はありません。次は150億円、さらに200億円と上を目指していく。もちろん数字が先行して無理をしてはいけませんが、現状に満足したら進歩がなくなるでしょう」

そんなミツエイが新たな収益源として力を注ぐのが、シャンプーやボディーソープなどのトイレタリー製品だ。洗剤に比べて収益性が高く、既存事業で培った技術やノウハウを活かし、独自性を打ち出していく。

勇気ある一歩が、ときを経て大きく花開く

他方、グローバルビジネスの拡大も図る。同社は1995年と、早い時期にベトナムへ進出。これは偶然の産物だったと安部社長は語るが、実は勇気ある経営判断の賜物だった。

当時、ミツエイがOEMとして最初に手がけた酸性系トイレ洗浄剤の需要が、次亜塩素酸ソーダの洗浄剤が登場したことで急減。売上高に占める割合はわずか3%に過ぎない半面、工場の生産ラインに占める面積は15%と大きく、生産効率の悪さが経営課題となっていた。生産中止という選択も浮かぶ中、安部社長はベトナムに生産移管することを思いついたという。洗剤は重量の割に低価格で、消費地に近い場所で生産するのが原則だ。海外で生産して日本に輸入するのは、本来ありえないことだった。しかし当時の為替相場は過去最高水準の円高だったことから、同氏は採算ベースに乗ると判断する。

 

(写真左)ベトナムに設立した子会社であるMITSUEI(VIETNAM)の社屋。
2024年に15周年を迎え、記念式典を開催した
(写真右)日本ではベトナムからの技能実習生を受け入れ、
社内で日本語勉強会を開催。日本語能力試験の費用補助や、国際的な技術力の向上に貢献している

 

そうしてベトナム法人を立ち上げ、当初はトイレ用洗浄剤だけを生産していたが、次第に品目が増え、今では液体クレンザーや漂白剤、トイレクリーナーなどにも広がった。そして近年、ベトナム経済の急成長にともない、ベトナム国内にも商機が生まれ、積極的な需要開拓に乗り出している。さらに近隣のASEAN諸国にも販路拡大を目指す。

30年前にまいた小さな種が今、大きく花開こうとしている。

 

機関誌そだとう221号記事から転載

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