「100億の壁」を超える、躍進の成功方程式

大きな壁は、次代を照らす原動力に!

~売上半減、赤字スタートの逆境から、V字回復を描いた軌跡とは……~

CASE①旭日電気工業株式会社

 

「できない理由ではなく、どうすればやれるのかを考えよう」

旭日電気工業の富井弘之社長は粘り強く、社員にそういい続けた。東京では2000年代後半から、マンション開発が活発化。特に湾岸エリアでは、超高層・高層のタワーマンションが次々と建てられた。建設事業における電気設備工事を数多く手がける同社にも、大手ゼネコンやデベロッパーから仕事の引き合いが相次いだ。だが、当時の旭日電気工業は一般的なマンションの施工経験こそ豊富だったものの、1000戸を超える大規模高層マンションは未知の領域。そのため社内、特に工事部門から「リスクが大きすぎる」との声が強く、受注に反対の姿勢だった。

しかし、富井社長は冒頭の言葉を繰り返し説得、社員の意識改革を促したという。そしてどうにか技術者たちを前向きにさせ、最終的に挑戦を決定。結果、同社初となる大規模マンション電気工事に見事、成功する。これをきっかけに建設業界での評価がさらに高まった。

「工事部門は、やったことないからできないとか、失敗したらどうするのかという保守的な話が多かったのですが、ならばどうやったらできるのか意見を出そう、そうしないと今後も何一つ新しいことにチャレンジできないといい続けました。結果的にやり遂げることができて、会社の業績にも大きく貢献したのです。その成功体験から、きちんと根拠を持って取り組めば、挑戦できるんだという自信が社内に生まれました。それを機に、それまで取引の少なかったスーパーゼネコンなどからも仕事の依頼が増え、顧客層が大幅に広がりました」と、富井社長は振り返る。

 

富井弘之社長

旭日電気工業株式会社
主な事業内容:
電気工事、電気通信工事、消防施設工事
本社所在地:
東京都世田谷区
創業:
1914年
従業員数:
232人

旭日電気工業は1914年に富井社長の祖父が創業し、2024年に110周年を迎えた。現在はマンション、オフィスビル、商業施設に加え、図書館や美術館、学校といった文化施設など、幅広い建築物の屋内電気設備や、道路・トンネル照明、空港灯火設備などの屋外電気工事を一手に請け負う。

今でこそ業界では「旭日といえばマンション工事」といわれるようになったが、同社はもともと、戦後復興期の公共工事を中心に成長した企業だ。高度経済成長期には民間工事にも進出し、徐々に業容を拡大してきたが、長く事業の柱は公共工事だった。バブル経済期の1989年度に、創業以来初の売上100億円を突破。バブル崩壊後、民間投資が冷え込む中でも、長年にわたって築いた公共事業での実績を背景に、業績は堅調に推移した。1992年度には、過去最高となる売上153億円を記録している。

 

(写真左)地上48階建ての大規模ツインタワーマンション「シティタワーズ豊洲ザ・ツイン」は、
「旭日といえばマンション工事」を象徴する施工実績だ。
旭日電気工業の代表的な施工実績である、「国際展示場」(写真右上)と「豊洲新市場」(写真右下)。

こうした大規模建築物における屋内外の電気設備工事に強いのが、同社の特徴だ

社会の変化に合わせて、改革を断行した大きな成果

そんな中、潮目が大きく変わったのは2000年代に入ってからだ。景気低迷が長期化し、公共工事、民間工事ともに減少していった。需要の減りは旭日電気工業の業績にも影を落とし、さらにリーマンショックの煽りも受け、2011年度には売上80億円を割り込んでしまう。ピーク時の半分である。富井社長がトップに就いたのは、その真っ只中の2005年だった。

「私が社長に就任した初年度は約2億5000万円の赤字で、まさにどん底からのスタートです。工事部門の中堅幹部から、このままでは若手がみな辞めてしまうと指摘を受け、2003年から副社長として経営に携わっていた私は、その責任を痛感しました。そこで必死で経営改革に取り組むから、半年間だけ待ってほしいと、中堅幹部に若手社員の引き留めをお願いしたのです」

経営改革の最大ポイントは、営業部門と工事部門との融和だったと富井社長は語る。会社の業績が低下する中、ときに採算度外視で仕事を取ってくる営業部門に対し、無理難題を押しつけられる工事部門は反発することも多かった。結果、工事に不具合が生じた際、その責任をなすり付け合うなどのあつれきが生まれていたのだ。そこで富井社長は、すべて1回壊して、組織を構築しなおさなければならないと考えた。

まずは問題の所在を明らかにするため、営業と工事のトップや幹部らを交えた話し合いの場を幾度となく設け、率直な意見を出し合い、仕事の全体像を可視化。また、協力業者との関係も見直して、低単価での無理な発注などをあらため、従来のコミュニケーションや商慣習を全面的に改善した。「協力会社があってこその業態ですから、持続的に良好な関係で仕事をできる環境にしたかった」と富井社長は語る。

「私は『道理』を大切にしてきました。これは社内外にかかわらず、道理が通らないことはダメだと。無理を通せば、どこかにストレスがかかり、ひずみが生じます」

そこから改革の必要性を、管理部門なども含めた全社の共通認識として浸透させていった。旭日電気工業は歴史が古く、“トップダウン”の経営が長く続いていたという。それが風通しの悪さにもつながっていた。

「元来、公共事業を主体にしてきたこともあり、“いわれたことを、きちんとやる”という風潮があったのです。しかし、社会が変わっていく中で、社員一人ひとりに会社はどうあるべきかを自ら考えてもらいたかった。自分の、あるいは所属する部署の立場ではなく、会社全体を見てほしいのです。会社が利益を生み出し、それを社員に還元して、さらなる成長につながっていくことが、幸福を生む好循環であると。それを実現するためにはトップダウンではなく、現場からの声や提案に耳を傾ける経営が肝要です。会社としては、そうした意見や提案が出やすくなるように後押しをしています。まだ十分とはいえませんが、みんなが全体を考えるようになってきて、確実に社内風土が変わってきました」

こうした一連の改革に対して、当時の会長だった先代とぶつかることも少なくなかったという。しかし富井社長は会社を次世代へつなぐ責任を胸に、話し合いを重ねながら強い気持ちで断行していった。その結果は、数字に大きく表れている。2018年度の売上高は112億円を記録し、コロナ禍の3年間は100億円を下回ったものの、2022年度には再び100億円台まで回復した。

実は、需要構造も大きく変化している。バブル崩壊後は公共工事が約7割を占めていたが、時代とともに公共工事自体が減っていった。その中で旭日電気工業は民間工事へとシフトし、現在は全体の約8割を民間工事が占めているという。見事にⅤ字回復を達成した富井社長は、そのターニングポイントが冒頭のマンション工事だったと語る。ちょうど、経営改革に腐心していた時期だ。

「2000年代後半に初めて挑戦した東京湾岸の超高層マンションが、最大の要因だと思います。その成功を機に、営業部門も工事部門も、どんな案件に対しても臆することがなくなりました。それまで社内では、大手ゼネコンやデベロッパーに対してハードルが高いと感じている社員が多かったのです。要求水準が高いことから、自分たちでは対応できないという気持ちがあったのでしょう。でも、大手ゼネコンやデベロッパーこそが日本の建設業界のスタンダードである以上、その仕事ができなければ、当社に未来はありません。それに技術力は遜色ない。ですから、できない理由ではなく、できる方法を考えようといい続けました。そうして一つひとつ成功体験を積み重ねていく中で、自信と誇りが身についていったわけです。今では大手ゼネコンやデベロッパーに、自分たちから提案できるまでに成長しました」

 

草津の温泉宿「湯宿 季の庭」では、屋外照明が幻想的な癒やしの空間を演出。
顧客のニーズを実現する幅広い施工に、旭日電気工業の高い技術力がうかがえる

さらなる成長を占う、人材育成と新規事業

一方で、今後のさらなる成長に向けて重要となるのが、人材育成だと富井社長は指摘する。電気工事業は大きな設備投資の必要がない半面、人材、特に技術者の力が会社の競争力を大きく左右するからだ。

「特に若手技術者の育成が、喫緊の課題です。ここ数年、会社の将来を考えて若手を多く採用し、今では技術系社員の48%を20~30代前半の人材が占めています。今はまだ、ミドル層が教育をしているさなかですが、若手が成長すれば、増え続ける電気工事のニーズに応え、より一層売上を伸ばしていけるでしょう」

会社としては、資格取得支援や年次階層に応じた技術研修、マネジメント研修などを通じたキャリアパス制度を設けるなど、教育体制の充実を図っているという。現在の若手社員が現場のマネジメントを担えるようになれば、生産性が大幅に向上し、より多くの顧客ニーズに対応していける見通しだ。

また、新規事業開発にも注力する。大きく2つの柱があり、1つは「脱炭素社会」に向けた新ビジネス創出だ。建設業界においても「GX」(グリーントランスフォーメーション)への取り組みが活発化しており、注目されているキーワードに「ZEB」がある。「Net Zero Energy Building」の略称で、ビルで消費するエネルギーを省エネで削減、再生可能エネルギーに転換することで、脱炭素に貢献するものだ。大手ゼネコンやデベロッパーを中心に、環境対応へ積極的な企業がビルのZEB化を進め始めている。旭日電気工業でも「カーボンニュートラル事業準備室」を設置し、新規事業創出に向けた研究を始めた。EV充電設備や太陽光発電設備などのほか、現在、大規模修繕工事を進めている同社の本社ビルにおいてもZEB化を目指しており、2025年8月に完成する予定だ。

もう1つの柱は、グローバルビジネスである。2019年からミャンマーとベトナムに支店・現地法人を設立し、事業を開始した。今は日本法人から依頼するCAD設計がメインだが、今後は現地の仕事を請け負うなど拡大の方針だ。さらに、成長を続けるASEAN諸国を含めた周辺エリアにも進出し、グローバル事業を加速するとともに、グローバル人材の育成にも力を入れていく。

 

旭日電気工業のキャリアパス。
さまざまな研修を用意し、入社後3年間は頼りになる先輩社員のもとでしっかりと学べる環境を整えている。
4年目からは主力メンバーとして、現場を任されるようになる

次の時代に掲げる、10年後の150億円突破

創業100周年を迎えた2014年、富井社長は次の100年を見据えて「企業理念に基づく経営方針」を打ち出した。企業理念のトップに位置する「ビジョン」は、「喜びをもたらす会社」。これは旭日電気工業のありたい姿、実現したい未来を表す。その次にある「ミッション」は、「全方位からの満足」とした。これは富井社長が大事にしている「道理を通す」につながる思いだ。

 

(写真左)創業当初の本社落成式を写した1枚
(写真右)激動の社会を乗り越えてきた長い歴史の中で大きな成長を遂げ、2024年に110周年を迎えた

 

「誰かに責任を押し付けるのではなく、全員から納得してもらう。そのための方策はなんなのかを、常に考えて行動しようということ。これは顧客に限らず、協力会社、購買会社、社員とその家族、そして社会、株主といった、すべてのステークホルダーから『なるほど』と思ってもらえる会社づくりを目指すものです」

そうした変革を推し進めてきた同社の業績は好調だ。若手技術者の育成が進む5年後には売上120億円、さらにその10年後には過去最高水準となる150億円突破を掲げる。旭日電気工業は今、100億円のさらに先へ、新たなフェーズに入った。

 

機関誌そだとう221号記事から転載

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