「防衛的賃上げ」を脱する
価格転嫁と省力化投資に活路あり
“失われた30年”と言われ、長く停滞してきた日本経済。今年は日経平均株価が史上最高値を更新するなど、大きな転換点を迎えています。今回は「『超人手不足時代』に企業に求められる取組」をテーマに、5月に閣議決定された2024年版中小企業白書を読み解いていきます。
新たな人手不足のフェーズに突入
新型コロナウイルス感染症の収束以降、人手不足が際立っています。
この深刻な人手不足、需要サイドである企業の業況回復が大きく影響しているわけですが、一方では供給サイドである労働市場の構造的な変化も相まったことが要因と見られます。
まず、労働人口の長期トレンドを見ると、人口減少・少子高齢化に伴い15~64歳の生産年齢人口は減少するも、女性・シニア世代の就業が伸びたことで全体での就業者数は増加してきました。実際に女性・シニア世代それぞれの就業率の推移を見ると、15~64歳の女性の就業率は、かつて約5割であったものが7割超に、65~69歳のシニア世代についても約3割から5割超に上昇しています。実は、女性の就業率では既にアメリカを超える水準にまで進んできたのです(※1)。
図1 を見ると、女性・シニア世代の就業者数増加を要因に「雇用者数」が増加しているのが分かります。一方、企業の働き方改革や働き方の変化等を要因に「雇用者一人当たり労働時間」は減少し、折れ線で示されている市場全体への「労働投入量」は下押しされています。供給サイドから見た人手不足要因とは、これまで生産年齢人口・労働時間の減少を補ってきた女性・シニア世代の労働市場への参入が2019年から頭打ちとなったことにあります。
さて、これから先の労働市場について考えると、女性・シニア世代の就業増加余地はほとんどありません。少子高齢化・人口減少については語るまでもなく、移民についてもご存じの通り。外国人労働者についても増加傾向にはありますが2023年における就業者数全体に占める割合は3%程度です。働き方の逆回転は起こりえないとすると、我が国における労働供給は減少していくことがほぼ確定的だ、と見て間違いなさそうです。人口減少社会は「下りエスカレーター」のようなものだとよくいわれます。絶えず足を動かし昇り続けなければ、同じ位置にすらとどまることができません。そのような時代、成長志向の取組なくして現状維持すらままならなくなるのです。
脱・「防衛的賃上げ」
これまで中小企業経営者と関わる中で「優秀な若手社員が大手に転職してしまった」という話を何度も耳にしました。テレビや電車など至る所に人材仲介会社の広告が溢れている時代、中小企業こそ働き手に選ばれる会社づくりが求められています。
人手が不足していない企業にその要因を聞くと(図2)、過半数が「賃金や賞与の引き上げ」と回答しており、やはり「賃上げ」は働き手が企業を選ぶ上では最も重要な要素になっていることがうかがえます。メディアで「賃上げ」という言葉を耳にしない日はない昨今ですが、中小企業ではどのように対応しているのかを見ていきましょう。
まずは、賃上げ動向を概観します。2023年春闘の最終集計によると、基本給を底上げするベースアップと定期昇給を合わせた平均賃上げ率は3.58%と、前年に比べて1.51%ポイント上昇。中小企業(※2)でも3.23%の平均賃上げ率となり、過去最高の上昇水準となりました。前述した労働供給制約下においては、そもそも高い賃金を払わなければ人手を確保できないという需給バランスに伴う賃金上昇もありながら、物価上昇の煽(あお)りも受けて賃上げが加速しています。中小企業もこの流れについていこうと高い賃上げ率で対応しているようです。
では、中小企業は今後の賃上げをどのように考えているのでしょうか。2022年から2024年までの各年における中小企業の賃上げ実施予定を聞くと(図3)、「業績の改善が見られないが賃上げを実施予定」とする企業が年々増加し、2024年では36.9%と最大になっています。人手を確保しなくてはならない、物価高で従業員の生活を守らなくてはならないという状況下、多くの企業が収益を圧迫してでも賃上げ原資を捻出する「防衛的賃上げ」を行っている様子がうかがえます。
今後更に人手不足が加速して労働市場の需給ギャップは拡大し、賃上げ圧力は継続するでしょう。防衛的賃上げを続けていくことは、資本分配率の低下、つまり会社の体力や成長に充てる資金が減少することを意味します。中小企業白書では設備投資・M&A・研究開発投資が企業の成長には有効であると解説していますが、防衛的賃上げが続けばこのような成長投資を行うことができず、だんだんと中小企業が競争力を失う、いわば「ジリ貧」状態になることが懸念されます。そうなる前に今こそ、中小企業は賃上げと成長の両原資を確保できるよう取り組まなくてはなりません。本稿では、その打ち手として効果的と考えられる価格転嫁と省力化投資について説明していきます。
価格転嫁実現のために
バブル期以降日本企業は低コスト化を進め、大企業の売上高・利益率は伸びる一方、主に受注側となる中小企業は大企業の原価低減の動きの中で伸び悩んできました。昨今、価格転嫁や下請いじめ等の言葉を耳にする機会が増えていますが、実態はどうなのでしょうか。価格転嫁率動向を見ていきましょう。
受注企業に対してコスト上昇分の何割を価格転嫁できたかを聞いたところ(図4)、2022年3月から改善はしたものの、足もとでは伸び悩んでいることが分かりました。
これをコスト分解して見ると、原材料費はコスト上昇分の45%超を転嫁できているのに対し、労務費・エネルギー費は30%台の転嫁率にとどまっており、価格転嫁が遅れていることが確認できます。もちろん価格転嫁のためには製品・サービスの独自性を磨くことや一社への取引依存度を低減することで価格競争力を高めていくことが重要ではありますが、即効性が期待できる初手としては、①価格協議の実施、②原価構成の把握に取り組んでいくことが有効です。
図5 は価格協議の有無別にコスト変動の価格反映状況を見たものです。「全て」、「概ね」、「一部」反映されたと答えた割合を比較すると、協議の実施有無で大きく差が生じていることが分かります。販売先との関係により一概にはいえませんが、受注側から積極的に価格協議の場を求めることが価格転嫁の第一歩といえます。
次に、原価構成の把握効果(図6)を見ると、原価構成を把握して価格交渉に臨んだ企業は、そうでない企業に比べてコスト変動分を価格転嫁できています。特に、前述のように価格転嫁が進んでいない労務費やエネルギー費は原価計算への落とし込みが難しいことが推察されますが、支援機関など専門家にも相談しながら原価構成の透明性を高めていくことが重要です。価格協議と原価構成の把握、凡事徹底が重要ということでしょうか。
政府も「成長と分配の好循環」実現のために価格転嫁を重視しており、2023年11月には内閣官房と公正取引委員会が「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を公表しています。サプライチェーン全体の共存共栄を掲げる「パートナーシップ構築宣言」も強化されており、このような政策動向も交渉の一助にすることで更に価格転嫁を進めることができる可能性があります。
省力化投資は二度美味しい
かつて、省力化投資といえば雇用喪失などネガディブな印象が強かったものでしたが、近年の労働供給制約下で、その風潮も変わってきています。省力化投資は、機械化・自動化による人手に依存しない体制づくりという視点はもちろんのこと、生産性向上により賃上げ・成長の原資創出にも寄与することが期待されます。
省力化投資の実施有無別に売上高・経常利益の変化率を見ると(図7)、実施した企業では共に増加していることが示されています。省力化投資で生産性を高めることにより、残業代等のコスト削減に加え、高付加価値業務への人材配置が可能になったこと等が要因でしょう。
省力化投資はNC工作機械やマテリアルハンドリングといった大規模投資に限らず、WEB・IT関連ソフト・システムや簡易ロボットの導入など比較的取り掛かりやすい選択肢が数多くあります。中小企業庁「中小企業省力化投資補助事業」は、IoTやロボット等の人手不足解消に効果がある汎用製品で補助対象となるものを「カタログ」に掲載しており、簡易かつ即効性が見込める省略化投資施策です。第一次公募は7月19日を期限としており、公募要領によると2026年9月頃まで複数回の公募を行う予定です。このような支援政策も上手く活用しながら、小さなことでも取り組んでいくことが重要です。
終わりに
さて、これまでの内容をまとめましょう。価格転嫁と省力化投資で確保した原資を賃上げ・成長投資に投下することで、維持・成長を遂げていくことが目下重要です。その先、そこで得た利益を再投資して更に成長していく、という好循環を生み出すことができれば超人手不足時代を生き抜ける可能性が高まるのではないでしょうか。本稿では取り上げませんでしたが、人口減少に伴う国内市場の規模・ニーズの変化に対応した製品・サービスの開発、国内外での新規顧客獲得などについても目を向けることが必要でしょう。
以上、「『超人手不足時代』に企業に求められる取組」を切り口に2024年版中小企業白書を読み解いてきました。
予測不能な不安定な時代。経営者は溢れる情報をマネジメントしながら、自分の頭で「何をしていくべきか」、高い視座で戦略を持ち、行動していくことが求められています。この解説記事もその一助となれば幸いです。
※1:内閣府「令和4年版男女共同参画白書」2-3図 OECD諸国の女性(15~64歳)の就業率(令和2〔2020〕年)。
※2:ここでの中小企業は組合員数300人未満の企業を指す。
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価格転嫁に関するセミナーを開催します。
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中小企業庁
事業環境部調査室 政策評価係長
勝野 連
(2024年4月より当社から出向中)
機関誌そだとう219号記事から転載