投資先受賞企業レポート

新風を吹き込んだ独自の「ものづくり哲学」

他社の物真似では、“本質”を突いた製品は生まれない……

日本機械技術株式会社

西藤 彰会長
1937年生まれ。工業高校卒業後、送風機
メーカーや大手重工メーカーなどを経て、
1973年に日本機械技術を設立。2021年に
代表取締役会長に就任した。

日本機械技術株式会社
主な事業内容:
産業用送風機の設計・製造・販売
本社所在地:
東京都中央区
設立:
1973年
従業員数:
100名

製鉄、セメント、紙パルプ、食品、産業廃棄物処理……。あらゆる分野において、作業現場である工場には何台もの送風機が設置されている。例えば製鉄工場であれば、鉄鉱石を溶かすための炉に酸素を送り、燃焼効率を上げる役割を果たす。製造時に舞いあがる大量の粉塵を、掃除機のように風の力で吸い取る際も、送風機の出番だ。

かつて、粉塵には法律による規制がなかったため、多くの工場が処理せずそのまま噴出させていた。そんな時代を「日本橋の交差点から銀座を見ると、うっすらともやがかかっていましたよ」と、日本機械技術の西藤彰会長は振り返る。同社は、今やどの工場にも欠かせない産業用送風機の専門メーカーだ。

あまり知られていないが、工場で消費される総電力のうち製鉄所では約60%、セメント工場では約40%、製紙工場では約20%もの電力が、送風機を稼働するために使われている。実は、非常にランニングコストのかかる設備なのだ。日本機械技術はここに目を付け、高性能・高効率で電力エネルギーコストを大幅に下げる「POWER SAVING FAN」を開発。1社当たり年間数百万~数千万円のコスト削減を実現させ、多くの顧客から支持を得ている。

目に見えないからこそ、一生をかけて探求したい

同社の創業は1973年。西藤会長が36歳のときだった。工業高校の機械科を卒業し、20歳で大阪の小さな送風機メーカーに入社。そこで出会った送風機が、同氏の技術者人生をスタートさせた。

「送風機が稼働しているとき、現象としてはモーターが回る“ブーン”という音しか聞こえません。風は目に見えませんから、一見して何が起こっているのかわからない。だからこそ、そこに私は強い興味を抱きました。目に見えない“風”を、一生をかけて探求したいと思ったのです」

製造時に出る大量の粉塵を吸い取る、建屋用集塵ファン。
ダクトなどの周辺設備に手を加えることなく、送風機だ
けの入れ替えが可能だという。

そこで4年ほど働いた後、大手重工メーカーへ入社。しかし、「入ってすぐにがっかりしちゃった」と語る西藤会長。戦後、日本はあらゆるものを欧米の真似で製造していた。送風機も例に漏れず、欧米から購入した図面をもとに、寸分たりとも狂いなくつくることが求められたのだ。それでは、技術者としてのやりがいはない。「ここにいても、成長を遂げることはできない。私の探求心を満たす場所ではない」と判断し、1年ほどで退職した。

次なる転地は静岡県の製作所で、西藤会長はここで起業のきっかけを得ることとなる。営業と設計の両方をこなしながら、送風機をつくり続けること約10年、1972年に西ドイツ(現・ドイツ)の送風機メーカーを見学するチャンスに巡り合った。当時、技術の発展が目覚ましいヨーロッパにおいてもトップレベルの技術を誇った5社を訪問。そこで感じた圧倒的な日本との違いが、技術者魂に火を点けたのだ。

「5社とも、送風機のスタイルがまるで異なっていたのです。日本ではみんな真似をし合って、似たようなものばかりをつくっていたので驚きました。どうしてこんなにも違うものをつくっているのかと尋ねると、『西ドイツでは、独自性がなければいくら安くても買ってくれない。人の真似では企業として信用されず、商売ができない』という答えが返ってきたわけです。それに、日本では部品の一つひとつを外注するのが当たり前でしたが、西ドイツではすべて自社で手がけるのが常識でした」

さらに、送風機の効率を比較すると西ドイツ製品は約85%で、日本製品は約75%。この10%の差は送風機の電力消費量を考えれば、非常に大きい数字となる。そこで同氏は「高効率で独自性のある送風機を、自分の手でつくろう」と決心し、東京・神田のエレベーターがないビルで、たった3名の社員と日本機械技術をスタートさせたのだ。

置き換え需要を狙った新たなビジネスモデル

「私は何しろ、運がいいんですよ」
そんな西藤会長の言葉を裏付けるエピソードがある。創業後しばらくは送風機の設計だけを請け負い、生産はメーカーに委託していた。しかし「自分たちのつくりたいものを自分たちでつくろう」と、15年目にして静岡県富士市に小さな工場を開設。それから1週間ほど経ったある日、7~8人もの人が突然工場にやってきた。話を聞くと、彼らは近くにあった送風機メーカーの工員で、「会社がつぶれてしまったから、雇ってほしい」とのことだった。続いて1カ月ほど後、今度は西藤会長が以前勤めていた製作所が倒産。そこで働いていた社員たちがやってきた。さらにはその製作所が請け負っていた仕事まで、日本機械技術に舞い込んできたのだ。急遽、先に倒産した送風機メーカーの空き工場を借り、想定外の工場拡大を実施。加えて付き合いのあったメーカーまで倒産し、そこで使っていた11トン車7台分もの工具を譲り受け、急展開で会社が大きくなった。

現状使用している送風機の風量測定も無料で実施。

立て続けに送風機メーカーが倒産した原因は、急激な円高だ。1ドル250円ほどだった為替レートが、150円ほどに暴騰し、海外展開していたプラントメーカーが送風機メーカーに値下げを迫った。日本機械技術は創業のタイミングが円高の煽りを受ける時期とずれていたため、影響を受けなかったのだ。しかも、その後のオイルショックで物価が約2倍になったため、送風機も2倍の値段で売れた。西藤会長が今回受賞した「第41回優秀経営者顕彰」優秀創業者賞。その受賞理由の1つは、置き換え需要を狙ったビジネスモデルだ。このアイデアもまた、偶然の出会いから生まれたものだという。

まだ数人で送風機の開発研究をしていた頃、高効率の送風機が完成した。「よし、これなら売れる」と、近くにあったブリヂストンの本社へ飛び込み営業に訪れた。そこで対応してくれた先方の技術責任者は、「すごくいい。でも、もはや今は設備を新規導入する時代じゃない。すでに送風機が入っている工場へ高効率を売りにして、置き換えを狙ったほうがいい」と話した。新規の設備を導入することしか考えていなかった西藤会長は、「それはできませんわ」といって帰ってきたのだという。

「でも一晩考え、確かにこれから新規の注文は減るかもしれないけれど、現設備の置き換えだったら受注が増えていく可能性がある。だったらやるしかないと心を決めました」

日本機械技術の「POWER SAVING FAN」は、設計から製造・販売まで一貫して自社で行うオーダーメイド製品であることが売り。既設のダクトやモーターを活かしたまま、最適な風量・風圧を実現する高効率の送風機を提供している。こうした既存製品との置き換えは手間がかかるため、大企業は手を出しにくい。ゆえに、ここ10年ほどは同社が独走状態だ。

西藤会長はこれらを運がよかっただけと語るが、それだけではないだろう。顧客のニーズに合わせ、戦略を変えた同氏の柔軟さ、そして何より西ドイツ訪問で開花した重要な考え方こそ、日本機械技術が飛躍する原動力となったのだ。それは「あらゆる事象の本質を見極めて物事に対処する」スタンスである。

トラブルを力に! 技術向上へつなげる

業界トップクラスを誇る高効率の送風機は、多くの業界から
注目を集めており、国内および海外で計15,000台以上が導入
されている。

「日本企業は何でも場当たり的に対応してしまう。だから、売るためには安いものをつくればよいという発想になる。でも、西ドイツは違いました。本質を見つけ出して、どんなものをつくるべきなのかを考え抜き、形にしていく。送風機の専門メーカー各社が独自の開発をしていたのも、そのためです。当社は西ドイツを見習って、安物をつくらないことに決めました。すると、どうしてもよその会社よりも見積りが高くなる。けれども、当社の送風機を導入すれば間違いなく、大幅なコスト削減ができるわけですから、それを計算すれば導入にコストがかかったとしても結果的には高くつかないのです」

ただ、この本質を見極める姿勢は西ドイツ訪問でゼロから得たものではない。西藤会長は20代の頃、ある大手メーカーと送風機の共同開発をしたことがあった。完成間近まで進めていたのだが、相手側の価値観に疑問を覚え、自らプロジェクトから退いた経験があるのだ。

「国内に5000社もの代理店を抱えている大手メーカーだったのですが、その担当者が『深く考えずにつくればいいんだよ。どんなものをつくっても、5000個は売れるのだから』と私に話しました。その言葉を聞いて『もうおたくとは組みません』と、小さなメーカーで働く20代そこそこの分際ながら、言ったのです。私の信条に反していましたから」

こうした西藤会長の“本質に忠実な生き方”が、西ドイツのスタンスと共鳴し、今日の経営哲学に結びついているのかもしれない。それはクレームやトラブルに向き合う姿勢にも表れている。

「トラブルが起こると夜も寝ないで、その本質を見つけることに時間を費やします。見極められたら、対処方法もわかる。表面的に取り繕うことはいくらでもできますが、根本的な解決をすれば、お客様が喜んでくれるのです。たとえクレームをいってきた人であっても、次の注文につながる。本質をつかんで解決するのはお客様のためでもあるし、自社のためでもあります。技術が向上して製品がよくなり、お客様にも信頼される。だから、クレームほど有意義で、楽しいものはないのです」

送風機の溶接現場。同社の産業用送風機は完全オーダーメイドで、
顧客の要望に合わせ、ほとんど一から設計・製造する。

常に本質を追究する視点を持ち続けている西藤会長は、「今、日本が抱えているあらゆる問題は、本質を見ていないから起きている」と持論を語る。特に“失われた30年”といわれる日本経済の停滞は、偏差値教育が起因していると吐露する。

「偏差値は単なる指標の1つで、全人格を評価できるものではない。けれど、そのたった1つの尺度に、子どもたちは小学校・中学校・高校まで追われ続け、それをもとに大学へ入る。これでは、その人の本質は重視されない。偏差値が高い大学を出たからといって、その人が皆、立派なのかといったら違うでしょう。このまま放っておいたら40年、50年と日本は停滞してしまいかねない。私はそうした流れからはずれて、自然の中でのびのびと育ったことが、発想力や信念の部分で仕事にも活きているのかもしれませんね」

20歳のときに、「一生の仕事にする」と決め、歩んできた送風機一筋の人生。「私は今87歳ですから、もうこの仕事を67年も続けています。それでも、まだまだやらなきゃいけないことがあると思いながら、毎日会社に来ている。仕事が趣味のようなものだから、週末や長期休暇の期間は、何もすることがなくて、早く出勤したいとウズウズしてしまうくらいなんですよ」と、衰えぬ意欲を口にする。

今後の展望を尋ねると、社是である二宮尊徳の言葉「積小為大(小を積みて大と為す)」を引き合いに、こんなことを話してくれた。
「これまで相当いろんなことを突き詰めてきましたから、極端な変化は起きないでしょう。でも、1日1つ、本質を追究することを積み重ねたら、ものすごい高さになるはずです。毎日継続して積み重ねていく努力。それを忘れずにいたいですね」

SDGsやサステイナブルが声高に叫ばれる時代が到来し、企業はコスト面だけではなく、社会的責任の面でも電力消費量の削減に尽力し始めている。これは、同社にとって追い風となるはずだ。チャンスにはリスクがつきものだが、課題にぶつかることを「楽しい」と考える創業者の想いが長く継承されれば、怖いものはないに違いない。

 

2002年に開設された福島県の白河工場は、近年受注が拡大している大型送風機の組み立てを主に行っている。

東京中小企業投資育成へのメッセージ

この季刊誌のタイトル「そだとう」は、とてもいい言葉ですよね。昆虫が殻を破り、脱皮するイメージが浮かびます。皮を脱ぎ捨てるたびに、進化するわけです。日本人は変化を好まず、何でも従来通りに続けたがりますが、当社は常に本質を見極めながら、脱皮を繰り返す会社でありたい。今後も、多大な支援をよろしくお願いします。

 

投資育成担当者が紹介!この会社の魅力

この度はご受賞おめでとうございます。会長はお会いするといつもエネルギッシュで、こちらが元気をいただいております。成功の裏には、創業時の様々な挑戦・苦労・決断があったことに驚きました。また、お客様の本質的な課題に向き合うことの大切さも勉強になります。今後、省エネルギーが求められる産業界において、日本機械技術さまの送風機の需要がますます高まっていくと期待しております。

業務第一部 主任
渡辺 泰央

 

機関誌そだとう219号記事から転載

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