次代への新たな一手。「脱・オンリージャパン」の極意

成熟した日本ではできない、無二の経験

~赤字をわずか1年で黒字転換した手腕。そこから得た気づき~

CASE③野原株式会社

 

ベトナムの首都、ハノイに本社工場を構えるNOHARA‐ITCベトナム(以下、野原ベトナム)。2012年の設立以来続いていた赤字経営が、ようやく黒字へと転換したのは2019年だった。経営立て直しに奔走したのは、同社の親会社である野原で社長とともに経営の舵をとる野原祥立常務だ。2018年に現地法人へ赴任し、すぐさま改革に着手。初年度に黒字化を達成している。

同氏は「仕事のやり方が日本とベトナムではまったく異なり、同じマネジメントでは立て直しが不可能だと考えました。日本式の手法を応用しながら、大々的に仕組みを変えることにしたのです」と振り返る。

 

野原豊大社長

野原株式会社
主な事業内容:
鉄スクラップ・非鉄金属の回収・加工処理、産業廃棄物の収集運搬・中間処理、フロン回収
本社所在地:
静岡県静岡市
創業:
1952年
従業員数:
14人

野原は鉄スクラップ、非鉄金属の回収・加工処理といった金属リサイクル事業を柱に、産業廃棄物の収集運搬・中間処理、フロン回収などの環境リサイクル事業も手がける。自動車部品関連企業を中心に、半導体や家電部品などの製造業者や各種工事から発生するスクラップを回収し、自社工場で加工・分別して特殊鋼メーカー向け原料として販売。非常に競争が激しい分野だが、同社は今年、創業74年を迎えた。今日まで勝ち残ってきた強みは、長く築いてきた回収先や販売先との関係性にある。

「通常、金属リサイクル業者と鉄鋼メーカーとの間には商社が入りますが、当社はメーカーと直接取引しています。そのため、野原はメーカーから直接認定されている事業者として、回収先も安心して取引ができる。実際に、大手特殊鋼メーカーの鉄原料直納指定商にもなっています」

 

(写真左)回収元から集めてきたスクラップをトラックの荷台ごと工場に下ろし、選別を行う
(写真右)バラバラのスクラップは磁石で移動し、機械を使ってプレスして形を整えてから販売する

 

一方で日本経済は縮小し、市場の拡大は期待できず、競争は激化するばかりだ。金属リサイクル業界も例外ではない。その中で野原はいち早く海外市場に目を向け、ベトナムへの進出を決めた。2005年頃、あるベトナム人経営者と知り合ったことがきっかけだ。彼は日本の大学に4年間留学しており、ベトナムで人材派遣会社を経営して日本にも人材を送り込んでいた。その人物からベトナム進出の話を持ちかけられる。

「ベトナム経済は高成長を続けており、日本企業の進出も活発化していました。社長である父は誘いを受け、大きなチャンスだと考えたそうです。しかも進出するなら一番が大事で、二番手だと意味がないと。幸い、ベトナムの金属リサイクル業界には日系企業が進出していませんでした」

とはいえ、野原は静岡県内を中心に事業基盤を構築する会社で、海外進出の経験はない。単独で挑戦するのはハードルが高いと、野原豊大社長は感じていた。そこで、ベトナム進出の話をくれた人物にパートナーとなる企業を紹介してもらう。そうして現地でコンサルティング業務などを手がけるITCとの合弁会社として、2012年に野原ベトナムがスタート。立ち上げメンバーは日本人3人、ベトナム人2人の5人。現地責任者として日本からベテラン社員を送り込んだ。野原社長は定期的に出張し、自ら訪問営業を重ねて日本では取引のない大手日系企業とスクラップの仕入ルートを確保していく。

「企業にとって、自社から出る金属スクラップは貴重な財産です。したがって適正な価格で取引したいのですが、競合となるローカル企業は数量をごまかすことも多々あります。また、現地の役人が介入してくるなど、きちんとした取引ができず、多くの日系企業が困っていました。そこで当社は日本の代表が直接商談を行うことで、信頼関係の構築を図ることに重きを置いたのです。特に時間を守ることやスクラップ回収後の丁寧な清掃などは、日本ならではなので、日系企業からは非常に喜ばれました。現在では、50社近い取引先の約9割が日系企業ですが、日本では付き合いのない大手企業も多く、社員も誇りを感じています」

回収、加工した鉄スクラップは、ベトナムの大手鉄鋼メーカーに供給する。ただ、順調に取引先が増える一方で、野原ベトナムはなぜか赤字に苦しんでいた。そこに送り込まれたのが、野原常務である。

 

(写真左)回収したスクラップは、人の手で細かく選別していく
(写真右)選別し、形を整えたスクラップをトラックに積み込む様子

相手の理解と尊重で、意思疎通を円滑にする

野原常務は大学を卒業したのち、2016年に野原へ入社。大学時代にフランスへ1年間留学した経験から、海外で働きたいという思いが強かったという。
「特にやりたいことがあったわけではなく、漠然と海外で働きたいと思っていただけです。当初は父の会社に入るつもりはなかったのですが、ちょうどベトナムに進出したばかりだったので、それならばベトナムでビジネスをしようと入社しました」

1年目は工場で仕事を覚え、2年目は鉄鋼の業界新聞社で修業した。
「普通は同業他社や商社で修業するケースが多いのですが、父は他とは違うことをやらねばと。記者として取材していく中で、市況やその背景、海外と日本市場の関係性など、鉄鋼業界の全体像を知ることができたのは、非常に勉強になりました」

そして3年目の2018年、念願のベトナムに赴任する。現地法人の責任者としては、2人のベテラン社員に続く3人目だった。野原ベトナムの経営状態が悪いことは数字上では知っていたが、実際に現場を見て、はじめてその理由がわかったという。
「父と私の前任2人が、顧客開拓や販売先の確保など、経営基盤をつくってくれていました。ただ、日本式を重視するあまり、現地の事情などを理解できておらず、順応できていない。その結果、日系企業の強みを活かしきれていないことが、事業全体に影響していたのです。そこを徹底的に改善することにしました」

具体的には現地特有の購入価格設定見直しや取引形態変更のほか、回収方法、回収ルートの効率化などを図った。こうした改革の中でもっとも苦労したのが、現地社員の意識変革だったという。

「日本では、スクラップを回収したら終わりではなく、きれいに掃除します。私たちにとっては当たり前のことですが、ベトナム人には理解できない。相手が汚したものだから、自分たちには関係ないと考えてしまう。そうではなく、お客様からいただくスクラップで成り立っている会社だからこそ、取引先への敬意を持ってスクラップを大切に扱わなければならない。社員一人ひとりの行動に、会社の存続と仲間の生活がかかっているわけです。また、当社の取引先は多くが日系企業だから、日本スタイルで仕事をしないと評価は得られないということを説明するのですが、なかなか伝わらない」

こうした意識の改革には抵抗がつきものだが、幸いベトナム人社員からの強い反発はなかったと野原常務は語る。それは、同氏ならではの粘り強いコミュニケーションを心がけたからだった。

「ベトナム人の考え方や文化などは、できるだけ尊重する。頭ごなしに上から押し付けるのではなく、時間をかけて当社の方針、やり方を説明し、少しずつ変革していくことが大切です。1回話すだけでは変わりませんから、現地社員が自ら行動できるようになるまで毎日のように、繰り返し同じことを伝えています」

 

(写真左)野原ベトナムの工場で撮影した1枚。真ん中が今回お話を伺った野原祥立常務
(写真右)現地でも多くのスクラップを回収し、選別・加工のうえ販売している

国内だけに左右されない強い経営基盤づくりへ

一方で、営業活動にも力を入れた。自らの足で現地の日系企業を回って顧客開拓を進めたのである。こうした取り組みが奏功し、初年度に黒字転換を果たすとともに、経営の健全化に道筋をつけ、3年のベトナム赴任を終えて2021年に帰国した。

現在、野原ベトナムでは設立時のメンバーであるベトナム人社員が統括部長として、現場責任者を務める。日本で働いた経験もあり、10人の社員を率いる。野原常務は同社の社長として月に1回程度出張し、スクラップの数量や価格、取引先の状況など、経営全体をチェック。ベトナム事業のさらなる安定、強化を図りつつ、将来的にはベトナムを拠点に輸出入事業、日本との連携、南部ホーチミンへの進出も構想する。

「ベトナム経済は今後も成長が続く半面、インフラ整備が遅れており、ベトナム政府も物流・交通インフラの整備に力を入れています。鉄骨需要の増大に伴い、金属リサイクルの需要もさらに増えていくでしょう」

順調に成長している野原ベトナムだが、今後は日本と海外のシナジーをいかに生み出していくかが、1つの課題だと同氏は指摘する。
「金属リサイクルの市況は世界各国で異なります。例えば、日本の状況がよくないときは、ベトナムに輸出して現地法人を通じて販売するほうが、利益が出る場合もあるでしょう。販路が増えれば、商社などともビジネスの幅が広がるのです。国内市場だけに左右されない、強い経営基盤づくりを進めたいと思います」

実務も精神も鍛えられた海外という特殊な環境

野原は現在、社長と常務の二人三脚で経営にあたっているが、承継を見据えて着々と権限シフトが進んでいるようだ。野原常務は「国内外ともに基本的には私がいろいろなことを考え、父に相談して助言をもらいながら決めています」と話す。野原常務がベトナム事業の立て直しを任されたのも、経営を実践で学ばせる狙いがあったことは想像に難くない。
「父から具体的にいわれたことはありませんが、確かにベトナムでの経験は大きく、国内事業にも活きていると感じます。現地では営業や現場管理など、会社運営のすべてを1人でやらなければならない。だからこそ自分で考え、率先して動く習性が身につきました。そして黒字転換に向け、数字を伸ばすことを常に意識していましたから、貪欲さも生まれました。今は国内事業もより成長させ、安定したビジネスを行うには何が必要かを、常に考えています」

静岡県静岡市にある日本本社の工場

実務はもちろん、精神面でも強くなり、経営者としての大きな一歩を踏み出したといえる。成熟した日本社会ではなかなかできない経験をする場としても、海外展開には意味があるのかもしれない。

「ベトナムでコロナ禍を過ごし、現地社員とコミュニケーションをとる中で、文化も価値観も異なることを身に染みて学びました。そして、これは国に関係なく、日本でも一人ひとりの考え方は違うということに気づいたのです。また、日本には“いわなくてもわかるだろう”という文化がありますが、それでは伝わらないこともある。「現場がすべて」である製造業においては、私と現場の考え方や方向性をいかに一致させ、形にしていくかが重要です。これは、異国であるベトナムでの経験があったからこそ強く感じ、理解することができました」

鉄鋼業界は現在、脱炭素の動きを受け、国内の金属リサイクル需要が高まっている。鉄鉱石と石炭を原料とする高炉の製鉄に比べ、鉄スクラップを原料とする電気炉の製鉄はCO2排出量を4分の1程度に低減できるとされ、大手製鉄メーカーを中心に設備導入が進む。これはグローバルな潮流でもあり、各国で電気炉化が進展、金属リサイクルの世界需要は拡大中だ。海外拠点を有する野原にとって、これは大きなビジネスチャンスの到来といえよう。

2020年に創業70周年を迎え、100年企業も視野に入った同社。4代目社長誕生の日も遠くないかもしれない。若き経営者の手腕に期待がかかる。

 

 

機関誌そだとう219号記事から転載

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