磨き続けた先見力で、時代の先を行く
阿部化学株式会社
阿部裕之社長
1954年、静岡市生まれ。鉄鋼メーカーでプラント
設計に携わった後、1980年に阿部化学株式会社へ
入社。1994年に代表取締役社長に就任。
- 主な事業内容:
- フロン類の再生処理、フロン類の破壊処理取り次ぎ、フロン類の充填・回収、フロン分析
- 本社所在地:
- 静岡県焼津市
- 創業:
- 1947年
- 従業員数:
- 32名
エアコンや冷蔵庫など、冷やす役割を果たす機器には、低温を得るために「冷媒」と呼ばれる流体が使用されている。冷媒の主流は「フロン」という化学物質だ。フロンは人体に影響はないものの、塩素を含む「特定フロン」がオゾン層を破壊する原因となることがわかり、すでに国際的に新規製造が禁止されている。そのため、塩素を含まない「代替フロン」が使用され始めたが、これらも温室効果ガスであることから、地球温暖化への影響度が高いものとして、新規製造の総量を減らす動きが出ている。
そこで、注目を浴びているのが、一度使ったフロンを回収し、混入した不純物などを取り除いてよみがえらせた「再生フロン」だ。阿部化学株式会社は、再生フロン事業にいち早く着目し、1984年に参入。現在、業界でトップクラスのシェアを誇るパイオニア企業である。
コツコツと積み上げた技術と時代の流れが合致
フロンはガス状であるため、ボンベに入れて扱う。
さながら、現場はガス会社のよう。
同社は、1947年に工場用洗剤の製造販売会社として創業。その後、68年に溶剤の蒸留再生加工事業を開始した。この技術を応用できることから、フロンの蒸留再生事業をスタートさせた。当時はSDGsどころか、地球温暖化という言葉さえ耳にする機会は少なかった時代。しかし、アメリカでフロンがオゾン層を破壊して大気に影響を与えるとの研究結果が発表され、にわかに形成されつつあった社会の流れを、阿部社長は敏感にキャッチしたのだ。
「カリフォルニアでフロン製造に関する規制がかかり、その後ヨーロッパでも同様の動きがあるとなれば、いずれ日本にもその流れは来るだろうと思いました」と阿部社長。高圧ガスであるフロンの扱いは難しいため、リサイクルしようとする企業はいなかったが、蒸留技術に長けた同社はいち早く、事業化したのだった。
当時思い描いていたのは、「日本でフロンに関する法律を作る際、国からアドバイスを請われるような会社になりたい」という想い。そのために広くアンテナを張り、技術を磨き上げることに注力した。
実際、2001年に「フロン回収・破壊法(現「フロン排出抑制法」)」が制定される際には、環境省から多くの官僚が何度も阿部社長を訪ね、ヒアリングを重ねたという。
しかしながら、法律ができたからといって、そう簡単に事業は上向かなかった。なぜなら、2001年の時点では回収フロンは破壊するのが原則で、まだ新品も出回っていたため、品質に不安のある再生品の需要は低かったからである。
そのような状況下でも、信頼ある事業者としての証である「RRC冷媒回収事業所」認定を取得したり、JIS規格さらにはガスメーカーの出荷基準を上回る品質の再生フロンを作るため、厳しい社内基準を設けて技術力の向上に励んだりと、努力を惜しまなかった。そうした地道な下積みを続けたところに、法改正や国際的な規制の厳格化など社会の動きが重なり、徐々に業績は上向いていったのだ。
装置内で還流を生じさせ、不純物を高効率で除去できる、
「還流式蒸留精製方式」の再生プラントを、計4基保有。
転機となったのは、オゾン層を保護するための条約として1989年に発効された「モントリオール議定書」が2016年に改正されたこと。「代替フロン」であるHFC(ハイドロフルオロカーボン)が、温室効果ガスとして気候変動に悪影響を与えることから、この生産・消費量を段階的に規制することを採択したのだ。
これに先駆けて、再生フロンの需要の増加を見越した同社は13年に先行投資でプラントを増設。事業拡大の土台を整えていった。これについて阿部社長は、「売上高が2億数千万円のときに、1億5千万円ほどの投資をしました。今考えると、大胆なチャレンジですよね。でも、現状維持ではおもしろくないと思ったんですよ」と笑顔で話す。
世界の動きと世の中の先を読む力、そしてチャンスをつかむためにチャレンジしようとする経営者としての思い切りの良さが、功を奏した。22年度には、16年度と比較して売上高2倍以上、純利益5倍以上、従業員数2倍の成長を遂げている。
右腕を育てて事業承継。情報力と人間力が経営の要
社長に就任して30年。阿部社長は事業承継を念頭に、社員の中から自身の右腕となる人物を任命して、次期経営者として段階的に権限委譲をスタートしている。
「国内の社長の平均年齢は62歳前後。その年齢に近づいて社長職を退くことを考え始めました。経営者の先輩方から、しっかり事業承継するならば、2~3年は必要だよと助言いただいて、少しずつ準備をすることにしたのです。私には娘が2人いますが、彼女たちには自由に自分の道を歩んでほしいと思いましたし、これまで共に歩んできた社員の中から抜擢して、一緒に頑張れたらいいなと思ったのです」
その後継者候補である右腕が、矢後元伸専務だ。矢後氏を選んだ一番の理由を、阿部社長はこう語る。
「矢後さんには、顧客のファンが多いんですよ。私が得意先に足を運んでも、『あれ? 今日は矢後さんいないの?』なんて聞かれてしまう。一度一緒に仕事をすると、次も依頼したくなるようないい関係性を自然に築くことができるって、すごいことだと思うんです。そんな人間性をまぶしく思います」
ファンを獲得するために、いったいどんな工夫をしているのだろう。矢後氏に尋ねると、「あらためて聞かれると困ってしまいますね……。いつも、相手に教えてもらうという姿勢で仕事をしてきたことが良かったのではないでしょうか」と遠慮がちに答えてくれた。
2011年の東日本大震災の際には、陸に打ち上げられ、
解体するしかなくなった船から、フロンを回収する依頼が来た。
矢後氏がこれまで担ってきた、再生フロンの原料となるフロン回収は、過酷な現場も多いという。例えば、大型船などの冷蔵設備に使用していたフロンを回収する際には、地方の港へ出向いてトン単位の回収作業を行う。かなり大掛かりなプロジェクトだが、そこで同じ釜の飯を食った仲間としての意識が芽生え、「会社と会社」を超えた、「人と人」の付き合いが生まれていく。そこで、矢後氏の人間力の高さが光るのである。
阿部社長は、経営者を任せる右腕に必要な資質を「会社の存在価値と、人と人とを結びつける接点を共有できること。これはセンスの問題なんですよね」と語る。また、「業界において大切なものは、情報と『人と人のつながり』なのです」とも断言する。頻繁に起こる法改正、刻一刻と変化する世の中の動きを敏感にキャッチし、「いつまでにこうしたらいい」とアドバイスができるような力。それがあれば、顧客は中期的な戦略を立てることができ、阿部化学に信頼を寄せてくれるのだ。
日本全国の現場を飛び回り、顧客はもちろん、作業員や運転員などとコミュニケーションを密に取ってきた矢後氏だからこそ、描ける経営者像があるはずだ。
北海道に新工場建設、市場拡大のチャンス到来
24年に矢後氏へ社長職を引き渡す予定で、同年2月には新経営陣が作成した中期経営計画を発表する。さらには、7月をめどに北海道で建設を進めている新工場が稼働する計画だ。北海道への進出は、10年以上の付き合いになる大手空調機メーカーからの打診に乗る形で決まったものだ。北海道には同業他社がなく、千歳市に大規模な半導体工場ができることが決まっていること、水産加工が盛んで大型冷凍庫を持った企業がいくつもあることなど、マーケットとしての魅力が高いことも決め手だった。
「北海道でしっかりと再生フロンを地産地消で展開していき、そして今後必ず出てくる、フロンに代わる次世代の冷媒に対応できる体制を整え、阿部化学をこれからも長く続く企業にしたい」と矢後氏。
2022年7月に行った、創業75周年の記念祝賀会。
今後は若手の採用を増やし、次なるフェーズへと進んでいく。
また、会長として同社に残る予定の阿部社長は、「環境省が掲げた代替フロンHFCの生産量と消費量の規制目標は、19年にはマイナス10%でしたが、24年にはマイナス40%にまで上がり、36年にはマイナス85%とどんどん拡大します。これはわが社にとっては大きなチャンスです」と、ワクワクしながら会社の行く末を見つめている。
時代を先取りし、時代がそこへ合流して軌道に乗り、ここからさらに加速していく同社の事業。環境保護先進国であるEUやアメリカカリフォルニア州などの動きを注視したり、早稲田大学の香川澄教授が主宰する「日本冷凍空調学会」の冷媒再利用委員会に参画したりと、常に前を見て、パイオニアであり続ける努力を怠らない。同社の次なるフェーズから、目が離せない。
東京中小企業投資育成へのメッセージ
経営者はいつも孤独なもの。私が諸先輩方と交流してさまざまなアドバイスをいただいてきたように、次期社長の矢後にも頼れる存在が必要です。利害関係なく語り合える経営者仲間を増やせるよう、ぜひ投資育成のネットワーク力でサポートいただけるとうれしいです。来年の中期経営計画の発表に向け、引き続きご指導ください。
投資育成担当者が紹介!この会社の魅力
業務第四部
松本 晃
空調機器の“血液”である冷媒は、空調の省エネ性能を左右するキーマテリアルです。阿部化学様は、地球環境と人々の快適な生活を両立させる再生冷媒のパイオニアですが、その原点は阿部社長や矢後専務が中心となり、お客様の声に耳を傾け、挑戦を続けてきたことだと感じています。2024年に予定している社長交代、そしてさらなる次世代へと経営のバトンを繋いでいただけるように、微力ではございますが、お役に立てれば幸いです。
機関誌そだとう216号記事から転載