対談・講演概要

若い発想を取り入れながら、受け継ぎたい4つの価値観……
私利私欲から解放された今、本当の経営はこれから始まる

株式会社ハイデイ日高 代表取締役会長・神田 正氏×東京中小企業投資育成株式会社 代表取締役社長・安藤久佳

 

安藤
神田会長は5坪のラーメン店からスタートして、今では「日高屋」「焼鳥日髙」など、一大飲食チェーンを築き上げました。

神田
1都6県に約450店舗と、埼玉県行田市にセントラルキッチンがあります。今は株式公開もさせていただき、公の会社になったと改めて感じています。

安藤
会社を大きく成長させる中で、経営者として大切にしてきたことは何でしょうか。

神田
長年の経営を振り返ると、日高屋があってよかったといわれたい、そして社員にいい人生を送ってもらいたいという思いを持ち続けてきましたね。

安藤
それは素晴らしいですね。他方、従業員1万人に近い会社にまで成長できたのは、実弟と義弟・高橋 均氏のお二人がいてくれたおかげだとも、神田会長は話していらっしゃいます。昨年、高橋氏が2代目社長を退き、40代と若く非同族の青野敬成氏が後を引き継ぎました。神田会長自身がトップとしてグループを率いる中、社長に青野氏を抜擢された理由は、どのようなものだったのでしょうか。

神田
コロナ禍によって60億円を超える赤字が出てしまったことが大きいです。長く経営をしてきた私や高橋の路線とは異なる、新しい発想を入れ込む必要があると感じました。戦略そのものを変えていかなければ、この危機は乗り越えられない。思い切った決断をしなければならないな、と。

安藤
そこで青野社長を指名されたのは、年齢以外に、どのような点を踏まえてのことだったのですか。

神田
私はどちらかというと、イケイケどんどんといういわゆる創業者タイプです。一方、青野社長は守りと攻めのバランスがいい。彼のようなタイプは、ゼロからの立ち上げには向かないかもしれません。ただ、現場上がりの叩き上げで人間性もよく、みんなに好かれています。組織が大きくなると、好かれる人でなければ多くの社員はついてきません。青野社長なら、ある程度でき上がった組織を、人望も活かして、少しずつでも変えていくことができると考え、彼を選びました。

安藤
たしかに、経営者に求められる素養は、時代や環境、あるいは会社が発展していく段階などによって変わってくるでしょう。そのほかに、後継者に選んだ理由はありますか。

神田
人は悪い状況に陥ったときに、どのような行動をとるかという部分に本心が出ます。状況が芳しくないと後ろ向きになってしまったり、逃げ出したりする人も少なくありません。その点、青野社長と20年一緒に働く中で、彼は苦しい中でも常に前向きでした。それも選んだ理由の1つです。

安藤
そこで地が出るわけですね。ただ、ご本人は驚かれたでしょう。

神田
最初は「まさか」という感じでした。

80を超えてなお、第一線。年を重ね、見えてきたもの

安藤
青野社長が就任して1年ほど経ちますが、社内に変化は表れていますか。

神田
社風が変わってきて、雰囲気が本当によくなったと感じます。先代のときが悪かったわけではありませんが、創業者一族とはまったく関係のない人物が社長になったことによる変化でしょう。彼の人柄による部分も、非常に大きいと思います。

安藤
神田会長は、駅前からロードサイドへ店舗展開戦略を転換するなど、現在も青野社長とともに、第一線で経営に取り組んでいらっしゃいます。長く会社の舵を取る中で、見える世界は変わりましたか。

神田
80歳を超えて感じるようになったのは、リーダーは私利私欲をあまり持たないほうがいいということです。私利私欲がベースにあると、社員にお世辞を使ったり、必要以上に持ち上げたりしてしまうところがあります。それは、どこかに後ろめたさがあるからでしょう。私も創業当初は、大きな家を建てたいだとか、いい車に乗りたいという欲がありました。でも80歳を超えて、そういった欲望から解放されると、オブラートに包まず、ズバッと物をいえるようになります。例えば、生産性を上げるために多少厳しいことをいわなければならない場面でも、それによって生まれた利益を社員のベースアップや年間休日の増加などに使うと決めているので、遠慮がなくなるわけです。

だから私にとって、本当の経営はこれからだと感じています。

安藤
まだ若い青野社長ですが、その点はいかがでしょう。

神田
彼は私利私欲があまりないようで、そこもいいところの1つですね。

安藤
その辺りは、同じ目線で会社の未来を考えられるわけですね。逆に、役割分担はどのようにされているのでしょうか。

神田
実務的なところだと、新店出店場所を見極めるのは、まだまだ私の役割だと考えています。現在、年間20店舗強というペースで店を出し続けていますが、最終的に出店するかどうかの判断は私にしかできません。出店に失敗すると、およそ7000万円から1億円くらい損が出てしまいます。そのため、仮に失敗が続くと、最終決断を下した人間が会社にいづらくなってしまう。

将来のことを考えれば、早く引き継ぐ必要もありますが、マニュアル化も難しく、なかなか人に任せることができません。ただ、長期的には、これを何とか青野社長に伝えていきたいと思っています。

安藤
まさに、これまでハイデイ日高が発展してきたプロセス、その要諦ですね。どこに、どういうタイミングで店舗を出すか決定をしていくのは、経営判断における相当大きなところでしょう。

「分かち合う資本主義」で社員たちに恩返しを

安藤
経営に若い、新たな発想を取り込み、さまざまな変化が今後、会社の成長に好影響を与えていくことと思います。一方で、変えるべきではない、ハイデイ日高の軸に据えられているものは何でしょうか。

神田
私が大切にしている価値観は、今後も引き継いでもらいたいと思っています。その1つが、縁あって当社にきてくれた社員を幸せにすることです。ハイデイ日高で働いてよかった、と思ってもらいたい。
今、会社の時価総額もかなり上がりましたが、それもすべて死ぬ気で頑張ってくれた社員たちのおかげです。だからこそ、私が保有していた株を2回に分けて、無償で社員に譲渡しました。

安藤
社員のみなさんへ多大なる感謝の気持ちを、形で示されたのですね。ただ、株式の無償譲渡という話は、ほとんど聞いたことがありません。

神田
当初、奨学金のために財団を設立しようと考えたこともありました。しかし、見ず知らずの人に渡すよりも先に、近くで頑張ってくれた社員に恩返しをしなければと。私はこれを「分かち合う資本主義」と呼んでいます。

安藤
社員一人ひとりが株式を保有することで、それぞれの努力によって業績が上がれば、株価に反映され、自分の財産も増えることになります。経営に参加しているという意識も、仕事に対するモチベーションや真剣味も増すことでしょう。

神田
その通りで、社員全員が経営者になるような、そんな雰囲気が徐々に醸成されてきています。これはおもしろいですね。
それと、まだ始めたばかりですが、社員の人間力教育にも取り組んでいます。

安藤
そこには、どのような狙いがあるのでしょうか。

神田
業務に関わる研修制度はいくつもありますが、社外でも通用する人間学といいますか、そういう勉強をする機会は、仕事をしていく上でそう多くありません。
しかし、当社で定年まで働き続けてもらうことを考えると、人生の大半をハイデイ日高で過ごすことになる。それなら、社員の人間力育成に取り組むのも、会社としての役割ではないかと考えたのです。まだ、具体的な施策が決まっているわけではありませんが、外部講師を招いて学びを提供するところから始めていこうと思っています。

安藤
人として成長できる機会まで会社が提供してくれるとなれば、喜ぶ社員も大勢出てくるでしょう。

神田
個人の人間力育成にまで投資してくれる会社は、そう多くありません。社員にとっても、貴重な機会だと思ってもらえたら、うれしいですね。さらに、それが会社に対する帰属意識の向上につながっていけば、なおさらです。もっと根っこのところでは、私自身が多くの社員よりも長く生きてきた先輩として、これまで培ってきた人間学みたいなものを伝えていかなければならないという思いもあります。

地域住民に必要とされる。そんな店舗をつくっていく

安藤
後進へ伝えていくべき価値観は、他にもありますか。

神田
大切にしたいと考えている要素は、大きく3つあります。
まずは、地域の方々に喜んでいただきたいという気持ち。さまざまな地域で、「日高屋ができてよかった」と思ってもらえる店舗にしたい。
「夜も営業しているので街が明るくなり、治安がよくなった」「雇用促進になった」など、住民のみなさんに必要だと思ってもらえるようにすることです。

安藤
まだ出店していない地域の方々にも、待ち焦がれられるような存在ですね。

神田
そうです。もう1つが、当社と取引しているステークホルダーのみなさんに、「ハイデイ日高と取引できてよかった」と思っていただきたい。
野菜や肉、酒類の仕入れ先、店舗物件を貸してくれるオーナーなど、さまざまな会社とお付き合いがありますので、そのすべての方々に喜んでいただけるビジネスを展開することです。

安藤
最後の1つはなんでしょう。

神田
株主のみなさんです。「日高屋の株を買ってよかった」と実感してもらう。

安藤
社員、地域、取引先、株主をそれぞれ大切にするという、4つの価値観を次代へと引き継いでいくことが、会長としてのミッションだということですね。
それによって、新しい時代へとさらなる発展を遂げていく、ハイデイ日高の姿が楽しみです。

 

(文中敬称略)

株式会社ハイデイ日高 神田 正 代表取締役会長
「経営トップセミナー」講演概要(2023年9月12日開催)

大宮に出したラーメン屋「来々軒」から始まり、現在は1都6県に約450店舗を展開できました。振り返って思うことは、「夢は見るより語るほうがいい」ということです。

当社がここまで成長できたのは、弟と義弟が一緒に会社を盛り立ててくれたからにほかなりません。創業当初、その2人に「大宮から赤羽まで駅前に来々軒を出す」と約束しました。周囲からは「本当にできるのか、そんな金がどこにあるんだ」と相手にされませんでしたが、今では赤羽どころか小田原までお店を出すことができています。

その成長エンジンになったのが、「経営計画発表会」です。まだ2、3店舗しかなかった頃、税理士からの助言で始めました。多くの企業では当たり前にしていることかもしれませんが、当時、ラーメン屋で実施しているところなどありません。社員はもちろん、その両親にも足を運んでもらい、パートの方も参加します。野菜や肉の仕入れ先、金融機関など取引のあるステークホルダーすべてに集まってもらい、そこで大きな目標を語るのです。

最初の頃は、「将来、店舗を20軒出す」と打ち出しました。当時のラーメン屋には社会保険もなく、病気になれば自己責任といった具合。そんなところで働きたいと思う人は、なかなかいない。やりがいを見つけるのも、難しいかもしれません。でも、未来のビジョンを会社がはっきりと示すことで、社員に目標ができて、仕事に魂を入れられるようになるのです。子どもを働かせる親としても、安心するでしょう。

ステークホルダー全員の前で宣言するわけですから、私にも大きなプレッシャーがかかります。口にしたからには、何が何でも実現しようと必死になる。ラーメン屋としては、おそらく日本一早いくらいの段階で週休二日制を導入しましたが、それも経営計画発表会で宣言したことが大きかったでしょう。上場することができたのも、同様です。

常に情報を集め、時代の流れを読む

会社の成長に大きく貢献してくれた弟と義弟ですが、一緒にやろうと誘ったときは、2人とも乗り気ではありませんでした。そんな2人が考えを変えてくれたのは、駅前に出店していくという戦略に共感してくれたから。

当時、大宮駅を利用する乗降客の4割くらいは、弁当持参で会社に行っていました。でも、これからの時代は、お昼を外食する人が増えてくるはず。「だから、この商売はおもしろくなる」と説明したところ、2人とも決心してくれました。

駅前を狙った理由は、他にもあります。まだ、夜になると駅前に屋台が出ていて、最終電車までいつもにぎわっていた時代。けれども、屋台はそのうち立ちゆかなくなると考えたのです。なぜなら、屋台は道路を占有していたため、道路交通法に違反している。水道を確保できないなど、衛生面に不安がある店舗も多く、いずれ保健所が営業を許さなくなるだろうとも思っていました。では、屋台がなくなったあと、そのお客様たちはどこへ行くのか。駅前で気軽にラーメンを食べられる場所があれば、そこへ流れるのではないか。そうした予測のもと、徹底して屋台の出ている駅前に出店し、この戦略は大成功しました。

社会の風がどこに向かって吹いているのかということを見つけ、そこに乗れば、案外、楽に進んでいけるものです。逆風では、一生懸命汗をかいても一向に進めません。だから私は、絶えず仕事に関係しそうな情報を探しています。旅行中ですら、仕事に役立つものはないか、自分たちの事業とは何が違うのか、そうしてアンテナを張っている。だからこそ、屋台の穴に気づけたのです。

ただ、駅前出店には大きなコストがかかります。創業間もない頃は、資金に余裕などありませんから、市場調査も十分にできません。そこで、大手のファストフードと牛丼チェーンが出店している駅前を狙ったのです。そういった大企業であれば、出店前にしっかり市場調査しているはずで、間違いありませんからね(笑)。

それにお客様も、毎日ファストフードや牛丼では飽きてしまいます。そのため近隣に日高屋を出店すれば、お客様が日替わりでそれぞれを回るようになると考えました。ただし、ファストフードや牛丼と比べると、価格が高いと敬遠される可能性もあります。そこで、当時のハンバーガーや牛丼に合わせて、ラーメンも390円に設定。大宮の「来々軒」では450円で出していたので、社内には反対の声もありましたが、そこは頑として譲りませんでした。これも、成功した要因の1つでしょう。

ピンチはチャンス!こだわらずに戦略転換

一方で、駅前戦略を徹底してきたがゆえに、コロナ禍で苦しめられることになります。リモートワークが広がり、店舗での飲酒も制限されてしまったからです。

でも、このピンチはチャンスだと考えています。実際、苦し紛れに出店したロードサイド店舗が、現在はとてもうまくいっているからです。実は、首都圏の主要駅にはほとんど出店し終えていて、これ以上出すと、日高屋同士で売上を奪い合うことになりかねない。西へ行こうかと考えていたところでした。ただ、ロードサイドであれば、首都圏にも出店できるエリアはまだまだあります。また、東京でも郊外に行けば、家賃が下がって出店しやすいというメリットもある。

従来の方法がうまくいかなければ、こだわらずに戦略を大きく転換する。そこに、チャンスが眠っているのです。これからも、さらなるV字回復に挑んでいきます。

 

機関誌そだとう216号記事から転載

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