理念を軸に据え、全社で支える柱づくり
CASE③蒲田工業株式会社
クリーン事業こそ、コア・コンピタンスだ──。蒲田工業株式会社の蒲田善明社長は2003年、新規ビジネスとしてクリーン事業を正式に立ち上げる決意をした。その日のことを、今でも鮮明に覚えている。
「約20年前のことですが、コンサルティング会社から帰る途中、久保と2人で話をしながら銀座の昭和通りにある大きな歩道橋を渡っていました。まさに新規事業が生まれるときの風景として、記憶に残っています」
蒲田善明社長
- 主な事業内容:
- クリーンルーム・クリーンブースの設計・製作・施工、工業用ゴム・樹脂製品の加工・販売
- 本社所在地:
- 東京都港区
- 創業:
- 1921年
- 従業員数:
- 100人
蒲田社長の傍らにいたのは、当時、クリーン事業を担当していた久保朝広氏。現在は常務取締役営業本部長として、クリーン事業をはじめ同社の営業全般を指揮している。
「ベルトの蒲田工業」──かつて、同社はそう呼ばれていた。蒲田工業は1921年、製造業の工場で使われる動力伝動ベルトやベルトコンベアなど産業機械用ベルトメーカーに勤めていた蒲田社長の祖父が独立し、前職の販売代理店として設立した蒲田商店が始まりで、2021年に創業100年を迎えた老舗企業だ。この間、主要ゴムメーカーの代理店として拡販に注力する一方で、自社工場でベルト加工やレーシングと呼ばれるベルト同士の接続器具の製造も行い、メーカーとしても事業を展開。特殊な接着剤でベルトを圧着するエンドレス加工など高度な技術力で、製鉄、製紙、食品、製薬など幅広い領域で顧客を増やし、商社と製造の両面からベルト事業を拡大してきた。
しかし、時代の変化とともに、ベルト需要の伸びが鈍化し始める。同事業の顧客は、鉄鋼や製紙などいわゆる重厚長大産業が中心で、日本の高度成長期を支えてきた。だが、低成長時代に入って産業構造が変化。蒲田工業は、ベルト以外の新たな事業を育成することが課題となっていたという。
そんな環境下の91年に、2代目であった父の後を継いだ蒲田社長は、危機感を強めていた。さまざまな新規事業に挑戦する中で、90年代初頭から動き出していたのがクリーン事業である。顧客ニーズは確実にあり、本腰を入れれば大きく成長の可能性があると考えた。ただ、そのためには正式な事業部として立ち上げ、資金を投入しなければならない。どうすべきか。決断に迷う中、会社の方向性を相談すべく訪れたのが、冒頭のコンサルティング会社だった。
今、手がけているビジネスの中で、次代のコア・コンピタンスになりえる事業は何か。コンサルティング会社の代表は蒲田工業の製品カタログを見ながら、ことごとくダメ出しした。ベルト事業を含め、多くが目新しさに乏しく、他社との差別化が難しいというのが理由だ。その中で注目したのが、クリーン事業だった。これこそ、蒲田工業のコア・コンピタンスになると断言したのである。
コンサルティング会社からの帰り道、2人は歩きながら話して、新規事業部の立ち上げを決断。すぐに環境エンジニアリング部(現クリーン事業部)が創設された。
独自の技術開発と、情報発信で市場を開拓
蒲田工業は創業以来、「お客様のお困り事を解決する」という考えを大切にしてきた。実際、クリーン事業も、既存顧客からの相談が発端だ。依頼元の大手精密化学メーカーが、米国の新工場に設置する製造ラインをクリーンに保つため、ライン全体を2重のパネルで囲いたいと相談してきたという。関係先に囲いをつくることができる会社はあっても、パネルを2重にする技術がなく、蒲田工業に助けを求めたというわけだ。
ところが、蒲田工業もそんな技術は持っていない。ただ、普段からベルトを供給している重要顧客が困っている。なんとかしなければ。そこで解決法を探る中、知り合い経由で紹介を受けたアルミフレーム製造会社に相談したところ、パネルを2重にできる技術を持っていた。すぐにサンプル製品をつくり、その採用が決まったのが93年のことだ。
そうしてプロジェクトが始まると、別の問題が生じる。蒲田工業が見つけたアルミフレーム会社は、求められていた巨大な囲いをつくるノウハウがなかったのだ。そこで蒲田工業も製作に協力し、試行錯誤を重ね、約半年をかけて巨大アルミフレームカバーを完成させた。
これを機に、クリーン事業の歩みが始まる。アルミフレーム会社と組み、さまざまな機械を囲う防音や防塵、安全カバーとして、小型のアルミフレームブース「エコスペース」を開発、既存のベルトの顧客に新製品として提案していった。
同時に新規需要の開拓を狙い、展示会にも参加。そこで、大手プラスチックメーカーからクリーンユニットの製作を依頼されることになる。クリーンユニットは従来の防音や防塵の囲いとは異なり、高い気密性やユニット内の清浄度を担保するなど、また別の専門的な技術が必要だった。
蒲田工業にとっては、新たな挑戦だったが、一から研究を開始、98年に現在の主力製品である「KAMATAクリーンブース」が誕生する。
クリーンブースに使用するアルミフレームは、軽量・高気密・レイアウトの自由さなどが特長だ。特にパネル材を2重にする際、パネルとフレームの間に独自のゴムパッドを入れて固定する仕組みを持つ。一般的なアルミフレームはビスで固定するため、パネルに穴を開ける必要があり、樹脂製パネルが割れるなどの問題が起きやすい。その点、蒲田工業のアルミフレームは、ゴムパッドでパネルを固定するので穴を開ける必要がなく、パネルの着脱も容易だ。そのため拡張性に優れ、ブースを複数つないで大きくしたり、扉の位置を変えられたり、利便性が高いことが強みである。
00年、アルミフレームの供給を担っていた協力会社が経営難に陥ったことから、加工機などを譲り受け、自社ですべて生産する体制を構築した。これで名実ともに、蒲田工業はクリーンブースのメーカーになったわけだ。
この頃から、多くの業界や業種で品質管理基準が引き上げられたことで、クリーンな環境下での製造が求められるようになってくる。そうした社会や産業界の変化を追い風に、クリーン事業の需要も増大する中、クリーンブースよりも大型の「KAMATAクリーンルーム」を開発した。清浄度管理・室圧制御・空調設備・微粒子対策など、さまざまな業界・業種に対応。環境に合わせた最適なレイアウト設計と施工技術は、市場で高い評価を得ている。
(左上)オリジナルフレームで2重の板材を使用し(写真内右下)、内面フラット構造で
気密性・安全性を追求した「KAMATAクリーンブース」。完全オーダーメイドの
自由設計で、美観性に優れたクリーン空間を提供している。
(右上)空調メーカーとタイアップで提供する「KAMATAエアシャワー」。
工場作業者の衣服や持ち込む部材に付着した塵埃や毛髪などを、
ジェットエアで除去する。
(下)クリーンパネルと空調工事による大規模クリーンルーム。
否定的な社内で、いかに味方を増やすか
そしていよいよ、03年の環境エンジニアリング部創設に至る。その目論見は見事に当たり、今や同社の主力事業に成長した。これまでに3000件以上の納入実績を誇る。
注目すべきは、その営業スタイルだ。ベルト事業の既存顧客に提案するほか、自社ホームページと展示会を通じた受注を基本としている。飛び込みなどの営業活動は行わない。同社のホームページ立ち上げは、97年と早く、06年からはWebマーケティングにも注力してきた。
この営業システムを支えているのが、営業推進室だ。蒲田社長の息子である蒲田善太郎専務が室長となり、HPの管理や展示会の企画・運営などを手がける。
毎年、東京・大阪・名古屋で開催される高機能フィルム展、
インターフェックス、食品工業展、インターネプコンに
出展している。
「HPはコンテンツの見直しや更新を定期的に行い、常に鮮度を保つようにしています。その結果、HP経由の問い合わせが月50~70件ほどあり、最近では5億円規模の大きな案件もHP経由で決まりました」
独自性のある質の高い製品をつくり、その情報を常に最新の状態で発信し続ける。これにより、自社の技術力を訴求するとともに、幅広く市場を開拓することにもつながるのだ。
まさにコア・コンピタンスとして同社の中核的な存在となったクリーン事業。しかし、ここまでの道のりは平たんではなかった。蒲田社長は、新規事業の敵は社内にいると、笑いながら語る。
「父である会長や取締役の先輩方は、重厚長大産業を中心に仕事をしてきた成功体験があったため、新しい取り組みには総じて批判的だったのです。特に父とはよくぶつかりましたし、クリーン事業に関しては幹部社員も否定的でした。事業部の発足から3年ほどは赤字が続きましたから、そんな中で展示会に出展したり、全国あちこちに出張したりするのを、一般社員の中でも快く思わない人が多くいたことは事実です。社内全体が、そういう空気になっていました」
たしかに、新規事業は既存事業が創出する利益によって開発がなされていくため、金食い虫と揶揄されることも少なくない。多くの会社に散見する光景だろう。
潮目が変わったのは、大手精密化学メーカーの工場に大型のクリーンブースを納入したことだった。工場近くの営業所だけではなく、各地の営業所からも若手社員を呼び寄せ、設置作業を行った。
「そのときに関わったメンバーは、いろいろ苦労をしたでしょうが、その分、新しい事業をつくるおもしろさ、可能性を感じ取ったようです。それから若手を中心に、社内でも新規事業に注力していく機運が芽生えました。そうした社員が今では幹部となり、クリーン事業部を支えています」
「KAMATAフレーム」を使用した大型クリーンブース。
現在、クリーン事業の拡大を目指し、富士事業所(静岡県富士市)で、新工場建設の計画が進んでいる。
また、顧客の要望に応えるため、特定建設業許可(建築一式工事)を取得し、クリーンルームを設置するための建屋建築も手がける方針だ。
「クリーンルームを設置したいけれども、スペースがないため建物を増築したいというご要望が少なくありません。当社が建築の元請けになれば、クリーン事業を入り口にしながら、建築などビジネス領域が大きく広がる可能性があります」
まさに「お客様のお困り事を解決する」を軸にした事業開発で、より一層、成長への期待が高まる。
同じ轍は踏まない!失敗を恐れずに進む
蒲田工業はクリーン事業以外にも、製造現場のさまざまな課題を解決する製品・サービスを開発、提供している。他社製品の販売や、自動化・省力化の製造ライン用ロボットの設計製造など、そのラインアップは多岐にわたり、顧客からの評価も高い。
そんな中、蒲田社長が今、最重視しているのが、さらなる新規事業の創出だ。ベルト事業、クリーン事業に続く、もう1本の柱をつくりたい考えである。
「簡単なことではありませんが、『お客様のお困り事を解決する』という理念に従って製造現場に目を凝らせば、当社の強みを活かして解決できる何かが、必ずや見つかるはずです。クリーン事業もそうして生まれましたから」
新たな事業を考える中で大事にしているのは、同じ轍は踏まないことだという。自分たちは新規事業の立ち上げで、社内の反発に苦労した。だからこそ、社員から寄せられるアイデアや、新しい挑戦に対しては、絶対に否定的な態度を取らないと肝に銘じているのだ。
「新規事業は成功するとは限りませんが、失敗したときに発案者が責任を取らされるようなことがあってはなりません。1度失敗すれば、2度目は成功確率が高くなります。それをみんなで応援する姿勢や、そうした雰囲気が大切です」
数年内には実現したいと、力強く語る蒲田社長。蒲田工業が次代に向けてどう展開していくのか、非常に楽しみである。
機関誌そだとう212号記事から転載