情熱と覚悟で紡ぐ、独自の付加価値
CASE①株式会社きものブレイン
「繭をつくる蚕は“天の虫”と書きます。その字のごとく、天が人間に授けてくれた賜なんです」
顔をほころばせながらそう語るのは、株式会社きものブレインの岡元松男社長だ。1976年に呉服卸売業として誕生した同社は、80年に業界初の「きものアフターケア」事業をスタートして躍進。そこから現在に至るまで、主業は着物の総合加工である。一方で、2015年に、世界初となる無菌工場での人工餌による大型養蚕事業を開始。育てた蚕の繭からとれるシルク成分を活用し、さまざまなプロダクトを生み出す新事業「絹生活研究所」を立ち上げた。従来の白繭に比べ、美と健康に寄与する成分が多く含まれる「みどり繭」を使用するのが特徴だ。
岡元社長は同社の創業から46年間、多くのチャレンジを続けてきた。当然ながら失敗もあったが、それでも試行錯誤を重ねながら新事業に挑むのは、業界や地域の今後を見据え、「若者の未来を明るいものにしたい」という揺るぎない思いがあるからだ。
岡元松男社長
- 主な事業内容:
- きもの総合加工、無菌人工給餌、周年養蚕事業
- 本社所在地:
- 新潟県十日町市
- 創業:
- 1976年
- 従業員数:
- 268人
そもそも、きものブレインが大きく成長するきっかけとなった着物のアフターケア事業は、「汚すと大変なので、大切な着物は着ないようにしている」という顧客の声を聞いたことから始まっている。今でこそ業界に浸透しているものの、当時は前例がなかったため、独自に技術者を養成したり、新しい着物を売ってなんぼの販売業者からは冷たい視線を浴びたりと、厳しい状況が続いたという。他方、利用者の反応を見て確かな手応えを感じた岡元社長は、根気強く事業を継続。すると、バブル崩壊を機に、不況で着物販売が停滞する中、業界から注目されるようになる。さらに、水洗いできる着物など、消費者目線の新商品を開発して会社を発展させ、06年にはベトナムに着物の縫製工場を設立した。
(上)丸洗いやしみ抜きなどの加工すべてを、新潟県十日町市にある自社工場で行う。
写真は2017年に完成した「夢ファクトリー 本社工場」。
(左下)着物の修復作業を行う「商品加工部」の風景。若い技術者たちが活躍している。
ところが、現在、着物縫製事業は大きなピンチを迎えている。昨今の輸送費高騰と円安により、大幅なコストアップとなってしまったのだ。「非常に厳しいですが、いつかこういうときがくると想定していました。だからこそビジネスチャンスを探し、新事業に力を入れてきたのです」
かねてより岡元社長は、「着物業界は成熟産業。いつか頭打ちになるだろう」と考えていた。長らく事業が好調であっても、常にこうした危機感を持っていることで、急激な環境変化にも焦らずに対応できる。
「約30年間、産地メーカーなどの倒産や人員整理といった悲劇を、たくさん見てきました。ですから、私は人員整理だけは絶対にせず、この地で若者が働き続けられるようにしていきたい。そのためには、もう1つの柱をつくる必要がありました」
こうした考えのもと、実は同社はバブル前に、ステーキハウス事業に乗り出したこともある。まったく新しい分野への挑戦だが、土地を借りて店を建て、県内50店舗を目指した。しかし、こちらはバブル崩壊とともに下火になる。着物事業が予想以上に多忙となったこともあり、4店舗を展開したところで撤退を決めた。自慢の手づくりソースよりもファミレスの味にわが子が「おいしい」と言ったことも、時代の変化を感じて見切りをつけた一因だったという。
「けれども、契約期間が終わるまで土地の賃貸料が発生するなど、閉店してからも大変苦労しました。このとき、新事業には撤退も想定した覚悟が必要だと身をもって学んだのです。また、着物と飲食はまったくの異業種。根っこが違う事業は、自分には向いていないとも痛感しました」
ないならつくればいい。目指すは年間5トンの繭
この教訓を得て、既存事業の強みを活かした、自社ならではのことは何かと考え始める。そこで目を付けたのがシルクだった。きものブレインの拠点である十日町が、もともと全国有数の養蚕地だったこともあり、シルクを使って何か新事業を興せないかと模索する。ただ、十日町はかつてシルクの一大産地だったとはいえ、織物販売高は76年の581億円をピークに、15年には30億円まで激減。同様に、世界におけるシルク生産量も減少傾向にあり、仕入価格も高騰していた。そこで、ますはシルクの安定調達を目指そうと取り組んだのが、「無菌人工給餌周年養蚕システム」による繭の量産化だ。
無菌状態で管理された人工飼料を、蚕に給餌している様子。
無菌養蚕技術の権威である京都工芸繊維大学の松原藤好名誉教授と、蚕研究の第一人者である東京農業大学の長島孝行教授の協力を得て、15年度から中小企業庁の戦略的基盤技術高度化支援事業(サポイン事業)を活用してスタート。年間5トンの試験生産方法を導入し、技術の確立を図っていった。
けれども、一筋縄ではいかない。「辞めるしかないと思った」
岡元社長がそう振り返るのは、年間5トンの繭を生産するために10数万頭の蚕を飼育し始めたときのことだ。蚕に繭をつくってもらうためには、飼育の途中で蚕を別の場所に移す上蔟(じょうぞく)という作業が必要になる。その移動のタイミングは蚕の色で判別するのだが、目視で見極めて1頭ずつ人の手で行うわけで、3人がかりで三日三晩やっても終わらない。現場が悲鳴を上げ、「これはもう無理だ」と諦めかけたところに、たまたまの縁で強力なアドバイザーが現れる。その方の協力によって、上蔟の大幅な効率化を図ることができ、世界初の人工飼育による繭の量産システムを確立したのだ。
成功の鍵を握るのは、マーケティングとエビデンス
こうして繭の量産化に成功し、フランスの世界的有名ブランドから技術提携を懇願されるほど、最高品質の糸ができるようになった。ところが、いざ事業化に向かうと、次なるハードルにぶち当たる。今度は繭から絹糸をつくる加工賃が、見込みの倍以上かかることが判明。これは、製糸工場が倒産してしまうなどの外部要因も影響しているが、岡元社長は「実際に糸をつくるまで、何も見えていなかった」と苦笑する。
同氏は「糸をつくるだけで、生き残っていくことは難しい」と考え、この養蚕技術を活用するべく、シルクの可能性を探り、さまざまな論文を読み漁っていった。その過程で、シルクの成分が健康や美容に寄与することに気付いたのである。
「やがて、糸以外の可能性があるのではないか、ということが見えてきました。シルクを活用した製品は衣料以外にも数多くあるのですが、どの企業も細々と手がけているだけでマーケットにはなっていない。しっかりブランド戦略を練ってやれば100億円市場ができ上がると確信し、私たちでつくろうと考えました」
その中で、新事業の方向性を決定づける出会いに恵まれたのだという。
「繭を生糸にする製糸段階で協力いただいた試験場の所長が、“みどり繭”に含まれる成分に関する論文を紹介してくれました」
みどり繭とは、餌である桑の色素が抽出された美しい緑色の繭で、細胞の老化を防ぐ抗酸化作用に優れた健康成分であるフラボノイドが、白繭の10倍以上含まれている。調べていくと、その他にもさまざまな可能性を感じ、岡元社長は「みどり繭が人間の健康を守る時代は必ずくる」と確信。ここに力を入れて付加価値を創出し、新たな市場を構築していくことを決意したのだ。
そうして最初に製品化した化粧品は、使用者からは大変好評だったものの、売れ行きはサッパリだった。
「どんなにいいものをつくっても、マーケティングが合わないと売れないということを学びました」
まさに新事業が成功するまでの、非常に長い道のりである。こうした苦しい状況を乗り越えて、会社を支える柱を築くためにも、やはり決死の覚悟が必要なのだ。
岡元社長がまず取り組んだのは、デジタル人材を招き入れてネット戦略を強化したこと。同時に、エビデンスをしっかり確立することである。
「繭は、蚕がさなぎとなる期間中、さまざまな外敵から身を守るためのシェルターで、フィブロインとセリシンという成分でできています。これらは人間にとっても大変有益で、そのエビデンスを遠回りしてでも揃えるべきだと考えました。時間とお金をかけなければ、市場をゼロからつくれないと腹をくくったのです」
大学や研究・検査機関の協力を得ながら、みどり繭の健康効果をデータ化していった。付着する菌についても測定したところ、一般的な水道水から100個検出されるのに対して、無菌養蚕のみどり繭からは8~12個と圧倒的に少ないことが判明。100個以下であれば滅菌せずに食品として加工できるため、商品化しやすいこともはっきりした。
こうしたエビデンスのもと、「身にまとう」「身につける」「食する」という3つのジャンルで「シルクに包まれた生活」を提案。それを「SILKING」として打ち出し、保湿成分が残る全身シャンプーや柔軟剤などを製品化した。現在、自社ECサイトなどで販売し、口コミで人気が広がっている。
(左)無菌養蚕工場で育てられた蚕は、大きくなるとみどり繭をつくる。
(右)みどり繭の贅沢なうるおいを、全身で感じることができるモイストシャンプー「Itoguchi」。
自社製品が軌道に乗るとともに、化粧品メーカーなどから材料供給の依頼もくるようになったという。
「当初は自分たちだけで市場をつくりたいと思っていたので、お断りしていました。けれども、SILKINGの開発背景を明示して商品化してくれる、という企業からのお申し出は受けることにしたんです。より広く、シルクの良さを知ってもらういい機会になると考えました」
ピンチのときには、必ず助け船がくる
みどり繭を核に、チャレンジを続ける岡元社長。新事業を成功させるには、何が必要なのだろうか。
「社内で理念や夢を共有することが、最も大切でしょう。特にリーダーとなる人は、ある程度仕事ができることは必要ですが、夢を語れるかどうかも重要です。最初はコストだけがかさむのも当たり前ですし、壁にぶつかることもたくさんあります。そこで意気消沈してしまうと、全体がしぼんでしまうのです。結果はすぐに出ませんが、だからこそ事業開発を続けなくてはなりません」
たしかに、新事業には忍耐も必要だ。ただ、継続か撤退かの見極めも、非常に重要だろう。これを誤ると、既存事業に影響を及ぼすこともある。
「撤退するにあたっては、数字的に枠を設けるのが一般的ですが、私は世の中が必要としている要素があれば成功すると確信しています。これからは健康の価値を求める時代になっていくと考え、シルク事業に注力しているのです。そして、日本一のシルク会社になり、市場をつくって海外に展開していくことで、若い社員の物心両面における幸せを実現し、明るい未来をつくる。それが私の夢です」
自らが抱く理想に向かって、一直線に進んでいるように見える岡元社長だが、「本当にこれでいいのかと常に情報収集をして、最善を考えている」という。そうして考え抜いた末に、「これだ」と確信を得たら、やり抜く覚悟を決めて周囲に計画を語る。「不思議なことに、行き詰まると助け船が現われるんです」と同氏は微笑むが、必ずしも偶然ではないのだ。
岡元社長の事業にかける情熱と覚悟はもちろん、地域や従業員を守りたいという強い思いがステークホルダーに伝わり、その姿勢が周囲を動かし、夢に向かって歩みを進める後押しとなっている。
現在、きものブレインは、まだ治療法が確立されていない重度のアトピー性皮膚炎に、みどり繭の成分が有効である可能性に着目。臨床試験を実施すべく、参加者を募るなどの準備を進めている。これに関しても美容皮膚科の乾雅人医師による協力のもと、アトピー性皮膚炎の治療薬開発へとつなげていくつもりだ。
「世の中に求められていること」に耳を傾け、社員や地域に心を寄せる同社は、厳しい環境をも打破し、さらなる成長を果たすことに違いない。
機関誌そだとう212号記事から転載