理念の継承で育む、三世代につながる想い
「私は30歳でこの会社に入り、社長になったのが38歳のときでした。息子も同じ年齢で入社、社長に就任している。まったく意識していませんでしたが、不思議な偶然ですね」
株式会社江戸屋 主な事業内容:食品製造・卸売業、
本社所在地:北海道帯広市、創業:1955年、従業員数:52名
そう感慨深げに語るのは、北海道帯広市に本社を置く珍味メーカー、江戸屋の塩野谷和男会長(以下、和男会長)だ。2018年、38歳で3代目に就任した長男の塩野谷壯志社長(以下、壯志社長)は、それを聞いて笑顔を見せた。
「思っていたより早かったですが、会長との対話の中で、私がやるべきことはわかっていましたし、経営に対する考え方も基本的に同じですから、あまり不安はありませんでした」
株式会社江戸屋は、海産物を主体とした珍味を製造し、スーパーやコンビニ、土産物店などに卸す。その8割が道内向けで、北海道ではトップシェアを誇っている。
一方、産直ギフトを扱うノース・ピー事業では、北海道の原料を使った乳製品などを製造し、全国向けにオンライン販売を行う。「乳蔵」ブランドのアイスクリームがヒットし、他にも、人気商品を多数持っている。
「現在の品揃えは300種ほどあり、味には自信を持っています。また、FSSC22000(食品安全管理マネジメントの国際規格)の認証も取得。安全面にも気を遣っています」と壯志社長。
自分の意思で決めねば、苦難を乗り越えられない
取締役会長 塩野谷和男
同社は1955年に、和男会長の父である東司氏によって、珍味卸売業として創業された。最初は両親2人だけの、細々とした商売だったと、和男会長は当時を語る。
「父が勤めていた会社が倒産し、生活のために商売を始めたようですが、金もなければ人もいない。冬場に暖房用の石炭を買えないこともあったと、母からよく聞きました」
当初は業務用に一斗缶で卸していたものの、ポリ袋が出回るようになって小分けが可能になることで、小売店に販売できるようになる。すると、珍味が一般家庭に普及し始め、会社は成長軌道に乗り、62年には株式会社江戸屋を設立。北見や釧路、札幌に支店を出すなど、順調に業容を拡大していった。
和男会長は、大学で電子工学を専攻し、日本IBMに入社。エンジニアとして活躍していたが、東司氏の体調悪化をきっかけに、跡を取ることを決めたという。
「父から継げと言われたことは一度もありませんでした。好きな道に進め、というのでエンジニアになったのです。ただ、幼少の頃から父母の働く姿を見ていましたし、ちょうど自分に長男が生まれたこともあって、育ててくれた親の苦労がわかり、継ぐことを決断しました」
経営者はなんでもできないとダメ、という東司氏の方針のもと、物産・販売部からスタート。その一方で、仕事の合間に専門学校へ通い、簿記・会計を学ぶ。中小企業診断士の資格取得や、経営学の勉強もした。
入社時、社員はすでに100人ほどいて、売上は15億円前後。しかし、創業者が体調不良の時期もあり、屋台骨が傾いて経営状態が悪化していた。畑違いの業界に飛び込んだ和男会長は、自らの足で道内を営業して回り、仕入先も開拓。会社を守ろうと、必死に奔走した。その後、東司氏は一時体調を戻したが、再び病に倒れたため、和男会長は35歳で社長代行として会社を切り盛りする。目指したことは、卸売からメーカーへの脱皮と小売の強化だった。
88年に特販部を開設し、北海道の素材を加工して付加価値を与え、販売する事業を推進し、道内のデパートやスーパーへと販売網を広げる。その翌年には、釧路に開業した大規模な商業観光施設「釧路フィッシャーマンズワーフMOO」に出店。現在は撤退したものの、当時の和男会長にとっては大きな冒険だったという。この年、和男会長は38歳で社長に就任。特販部を独立させて、有限会社ノース・ピーを設立した。
「当時、アスパラやピクルス、十勝牛のビーフジャーキーなどを販売していましたが、道内だけでなく全国に向けて売りたいと思い、ノース・ピーを独立させたのです」
北海道十勝産の生乳を使用した、「乳蔵」ブランドのアイスクリーム(写真左)。
使われている卵や果物もすべて北海道産という徹底ぶり。豊富な種類の珍味(写真右)は、
おつまみやギフトとして重宝されている。
こうして珍味を始め幅広いジャンルを扱う食品メーカーとしての土台が完成した頃、和男会長は60歳を迎え、壯志社長の入社を機に事業承継のことを考え出した。
「もちろん長男も候補の1人ではありましたが、私から跡を継げと言ったことは一度もありません。自ら『継ぎたい』という意思表示がない限りは、あえて、そうする必要はないと思っていました。やはり中小企業ですから、いつどうなってもおかしくはない。それを無理やり託すことはできないですし、自分の意思で決めないと、社長としての苦難を乗り越えられないでしょう」
この想いには、父・東司氏が、跡を継ぐことを強要せず、和男会長自身が承継を決め、身を投じた経験が大きく関係しているのだろう。自分の意思で、会社を守りたいと強く決意したから、赤字を脱し、立て直すことができたのである。だからこそ、同じように何も言わず、壯志社長本人の判断に任せたのだ。この話を隣で聞く壯志社長は、深くうなずきながら、後継者としての心境を語る。
「継げと言われたことはなかったですが、大学時代には、すでに考えていました。祖父がつくり、父が育てた会社です。次は自分だという使命感は、なんとなく持っていました」
壯志社長は大学卒業後、4年間、食品系企業に勤務、その後1年間のアメリカ留学を経験し、30歳で江戸屋に入社する。
「在学中に父と相談し、いったん他社に就職して、外の世界を見てから江戸屋に入社することを決めました。その旨を伝えたときも、父は特に表情を変えず、『ああ、そうか。入るのか』という感じでしたね(笑)」
最善の後継者育成は社長にすること
実はこのとき、和男会長はすでに、教育ローテーションを考えていた。
「まず、現場を知ることから。その雰囲気を肌で感じることが大切です。最初は工場で2年間。その後、札幌を拠点に道内営業、次に東京での営業、さらに輸出なども経験させ、銀行が主催する経営者塾などにも参加してもらったのです」
一通り現場を経験した壯志社長は、専務を経て、自身が思っていたよりも早く、38歳で代表に就任した。なぜこのタイミングだったのか、和男会長はこう語る。
「よく、70歳までは社長をやるとか、何十周年の節目で譲るとか、もっと育ってから、という話を聞きますが、単に先送りになるだけでしょう。ちょうどその頃、地元の商工会議所で、私が事業承継をテーマに座談会や講演会を企画していて、いろいろな話を聞く機会がありました。その中で、『最善の後継者育成は、社長にしてしまうことだ』という話があり、心に響いたのです」
代表取締役社長 塩野谷壯志
ただし、3年間は教育期間として和男会長も代表権を持ったまま、並走することにした。
「今思えば、私も35歳で社長代行となり、3年間は教育期間のようなものだったかもしれません。当初の予定通り、3年後の21年には一線を退きました」
壯志社長は、この3年の期間を、どのように感じていたのだろう。
「私は父と違って、先代が元気なうちに受け継ぐことができて、ありがたいと思っています。もちろん考え方や意見が異なることもありますが、経営理念の実現という最終的な目的地は一緒です」
就任後は、製造能力の強化に取り組んだ。特に、未利用資源であった鮭の皮を利用したオリジナルのヒット商品『鮭皮チップ』の製造・販売や、食品安全マネジメントFSSC22000の導入などは、工場での知見が活きている。さらに大手コンビニ向けの売上を伸ばし、本州エリアでも取り扱われるようになった。これも、営業時代の経験が結び付いた成果である。
和男会長は事業承継前、「次世代幹部スクール」として係長や課長クラスの社員を選抜し、当時常務だった壯志社長を含めた9名に、1年間の研修を実施した。今後、トップを支える同世代の管理職も、後継者と一緒に育てたのだ。確かに、代替わりをするのは経営者だけではない。周囲の人材も同じく代わっていくことを考えれば、中長期的な会社の存続、成長を見据えた、有効な取り組みだったといえる。
エンドユーザーの顔が見える新たな業態で東京に挑む
今、壯志社長が手がけているのは、21年10月に東京・日本橋で開業した「あてのわ」というおつまみバルだ。江戸屋の商品を「あて」として、400円で好きなだけ食べることができる。もちろん、揃えているお酒も、北海道の銘酒だ。
「当社の主力商品が、首都圏でどこまで勝負できるのかを検証するためにも、とにかく、まずは江戸屋の珍味を東京の人たちに食べてほしいと考えていました。元来、私たちはエンドユーザーの顔が見えない業態です。けれども、お客様が珍味と一緒に、美味しそうにお酒を召し上がる姿を見ると、私たちの商品づくりは間違っていなかったと確信できる。店舗で得た情報を社内へとフィードバックし、本業にも活かしています。今後属性の異なる場所に出店してマーケティングを強化し、ECにも結び付けていくつもりです」
こうした壯志社長の仕事ぶりに対し、和男会長は「創業者の『最高の品質の製品を提供する』という理念の実現を永遠のテーマに、どんどん新しいことに挑戦してほしいです」と嬉しそうな表情を見せた。
卸売からメーカーへ、そこからさらに、消費者の顔が見えるメーカーへ。釧路の商業観光施設に出店した和男会長と同じく、3代目もまた、新たな冒険の道を進み始めている。
2021年10月、東京・日本橋にオープンした「あてのわ」。珍味や乾物類をおかわり自由で
楽しめる、“あてもり”というコンセプトが特徴的だ。提供されるおつまみ、料理、お酒の
ほぼすべてが北海道産。東京にはなかなか出回っていない、希少な品も用意しているという。
宅呑み用に、小分けの袋詰めで購入することもできる。
機関誌そだとう210号記事から転載