起業列伝

負債3200万円から再度起業。凡事徹底し支援集まる……
“好感の連鎖”構築が、持続的発展の源に!

株式会社弓田建設

 

「私みたいに幸せな社長は、他にはあまりいないんじゃないですか。ウチの社員は、日本一の社員だと思っています」
福島県会津若松市に本社を置く弓田建設の社長である弓田八平氏(70歳)は、うれしそうに話す。

弓田氏の古希(70歳の節目)を祝う社員からの感謝状には「心から感謝の意を表します たくさん たくさん ありがとう」とあり、裏には弓田氏への寄せ書きがびっしりと書き込まれている。

 

(左)弓田氏の古希を祝うため、社員から送られた感謝状。
(右)裏面には、社長への感謝の言葉が、所狭しと書き込まれている。

 

 

株式会社弓田建設
代表取締役 弓田八平さん

1951年、福島県生まれ。
1970年、大沼高校卒業後、地元の土木資材会社を経て、
有限会社岩代緑地建設の代表に就任。
1979年弓田建設を創業し、1982年、株式会社に改組する。

株式会社弓田建設
事業内容:
土木・道路舗装、建築、住宅建設、不動産仲介・管理など建設サービス業
本社所在地:
福島県会津若松市
代表:
弓田八平
創業:
1979年
従業員数:
80名

「正しい」と感じたことでも思わぬ結果を招くと学ぶ

1951年、福島県大沼郡会津高田町(現在の会津美里町)に生まれた弓田氏は、10人兄弟姉妹の8番目として育つ。父・正志は、農林業を営み、炭焼きやなめこ栽培、養蚕などで生計を立てていたが、生活は苦しかった。弓田氏は、引っ込み思案な性格で、小学生の頃までは人見知りだったという。
「父は厳格な人で、いろいろと教えてくれました。父のおかげでいまがあります。『2人以上いれば社会ができる。人をかき分けるようなまねをせずに、とにかく一番になれ。トップになれ』が口癖で、その言葉はずっと心に残っています」

母のカネヨも、大きな影響を与えた。「感謝の心を忘れるな」と教える、優しくも厳しい母親で、「なにがあってもすべての責任は自分にある」と、弓田氏に言い聞かせた。

いまも弓田氏の座右の銘は、「その責は己にあり」だ。この信念が、社員や地元の人たちに慕われる理由の一つである。

高校2年生のとき、弓田氏は生徒会長と応援団長を務めた。ところが、大役を終えて退任する生徒大会で事件が起きる。終了間際に指導教師が弓田氏を批判しはじめ、「学校の風紀を乱すな!」と叱りつけたのだ。いわれのない中傷で、教師が自らの責任を回避して生徒に押しつけていると感じた弓田氏は、逆に教師を糾弾。弓田氏の所属する3年2組で、授業ボイコットを断行する事態となる。

このことが地元新聞でも取り上げられ、大騒ぎに発展。弓田氏は無期限謹慎処分となったが、なんとか卒業することはできた。
「担任の先生から『君は正しいことをやったと思っているだろうが、泣いた人もいる。その結果、生徒への締め付けが逆に厳しくなった』と聞かされ、自分の浅はかさを痛感しました。よかれと思ったことでも思わぬ結果を招く。このことは、一生の勉強になりました」

営業の才能開花させ、19歳で経営者になるが……

高校卒業後、大学進学を考えたが、授業料を工面できずに断念した。

1970年、地元の土木資材会社に就職し、営業部に配属。当時ブームだった、ゴルフ場のグリーンの芝やバンカーなどの資材を販売することになる。ここで営業の才能を開花させ、新規開拓や売掛金の回収率はトップクラスを誇ったという。

しかし、あるとき配送部からクレームが入る。いつも無理な納期を押しつけるというのだ。弓田氏は「営業がお客様に約束したのだから、全社で協力するのは当たり前だろう」と正論をぶつけると、文句を言った担当者が朝礼の場で、弓田氏を罵倒。その後、わざと配送を遅らせるなど、嫌がらせを受け続け、退職を決意する。

すると、芝や資材の仕入先から、うちで働かないかと声がかかった。弓田氏の営業能力を買ったのだろう。そして、仕入先の子会社として建設会社を設立、弓田氏はなんと19歳で経営を任されたのだ。

知人たちを数人集め、ゴルフ場に芝を張り、バンカーなどを造成する仕事を開始。バンカーづくりの名人が親会社から送り込まれたこともあり、倍々ゲームで売上が増え、驚くほどの利益が出た。会社は90人の規模にまで拡大する。
「自分は経営の天才なのかもしれないと思い上がり、26歳のとき、親会社が止めるのも聞かず、あるゴルフ場から大きな仕事を受注したのです。しかしながら、おそらく計画倒産だったのでしょう、5000万円の損失を負い、個人的に3200万円の負債を抱えて会社は倒産しました」

2度目の起業に秘めた覚悟。42歳で負債を完済!

若気の至りとはいえ、人のためになりたいと思っていた弓田氏が、逆に人に迷惑をかけてしまう……。「すべての責任は自分にある。二度と同じことを繰り返すまい」と決意をした弓田氏は、日雇いの土木作業員として働きはじめた。
「私自身の能力が足りなかったことも、倒産の原因です。だから、日雇いの建設現場で働き、土木や建設工事を改めて勉強しました」

その頃、結婚。「借金だらけで、どこの馬の骨ともわからない男に娘をやれない」と反対する義父を押し切って、妻と一緒になったことが、どん底にあった弓田氏の支えになった。

その後、弓田氏の努力を義父も認めてくれ、1979年、妻の実家の土地を借りてプレハブの事務所を建て、弓田建設を創業。弓田氏は、自ら営業して仕事を取ってくるとともに、朝から晩まで資材運び、仮枠づくり、重機の操作と何でもこなした。夜中まで作業することが何度もあった。
「土木建設会社を立ち上げたのは、『芝張りの土で失ったものは、土で取り返そう!』と決意したからです。しかし、会社を潰した男だといわれて、なかなか仕事をもらえない。私が、建設業を甘く見ていた面もあります。業界のしきたりがわからず、いつまでたっても新参者扱いで、一人前と認められませんでした」

弓田建設は、土木工事からスタートし、1982年には株式会社に改組。その後、道路舗装やマンション、工場、病院など、様々な建築を手がけるようになる。

注文が取れずに苦戦するなかで、助けてくれたのが、地元の名士であり、バックホー(ショベルカーの一種)の購入先だった、会津自動車工業の故・四家慶治氏だ。四家氏は弓田氏のことを気に入り、株式会社に出資してくれた。このことで、会社の信用は各段に上がり、周囲の対応も変わった。「四家さんの応援が、今日の土台となっています」と弓田氏はいう。

1991年には、四家氏がカーディーラーをはじめるにあたり、そのショールーム・事務所建設という大型案件を受注。当時の弓田建設にとっては干天の慈雨だ。こうして、先の失敗で抱えた負債も42歳までに完済を果たせた。
「いままで、多くの人に支えられてきました。だからこそ、二度と社員や取引先に迷惑をかけないと決意し、給料や仕入れの支払いが一日でも遅れたら商売を畳む覚悟でした。それは当然のことなのですが、あたり前をあたり前にできることが大事です。約束は守る。どんなことがあっても自分から破ることは許されません」

地域を支え続けるため、広く事業を展開

順調に発展していた弓田建設に突然、暴風が襲いかかった。2003年に小泉政権による公共工事削減の影響を受け、売上が13億円から7億円弱へと大幅に落ち込み、赤字を出してしまったのだ。

創業以来、「発展と地域社会のために」という理念を掲げてきたが、会社の発展が止まっては地域社会に貢献することもできない。
「社内が悪い雰囲気になり、社外からも嫌なウワサをされるようになりました。この負のスパイラルを断ち切るべく、多額の費用を投じてコンサルタントを招き、社員と3泊4日の研修会を開きました」

コンサルタントは人員整理を提案したが、弓田氏は一切応じず、みんなで危機を乗り越えるにはどうするかを話し合った。そのなかで、社員の1人が自分の預金通帳を差し出し、「使ってほしい」と言ったという。
「もちろん辞退しましたが、私は思わず涙を流しました。こんな社員がいることに誇りを感じたのです」

このようなエピソードが出てくるほど社員の結束が改めて強まったこともあり、翌年には黒字に回復。
その後、戸建て住宅の建設、不動産の仲介・管理業務もはじめ、弓田建設は総合的な「建設サービス業」に発展していくことになる。
「私は建物をつくりたいのではなく、“地域を支える町づくり”をしたいのです。そのために必要とされるものを、ワンストップで提案できる企業になりたいと思っています」

 

(左)会津若松市のシンボル、鶴ヶ城の修繕も任される。2011年3月には、天守閣の赤瓦葺き替え工事を請け負った。
(中央)会津若松市から委託を受け、市内全域の除雪作業も担う。
(右)これまでの貢献が認められ、「ホワイト企業大賞」地域愛経営賞を受賞。

 

弓田氏は地域に根差した企業として、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。2014年には、地元小学校の子どもたちに農業の大切さを知ってもらうため、農業を体験できる「あいづ子ども夢農園」をスタート。採れた野菜は、子どもたちに無料で提供するほか、収穫した作物の売上金は小学校に全額寄付している。

また、地元ではないが、モンゴルの子どもたちにランドセルなどを贈り、両国の友好親善のため、2011年に「日本モンゴル友好ハッピー協会」も設立した。

 

(左)活動7年目を迎える「あいづ子ども夢農園」。
(右)モンゴルへ贈るランドセルを準備。2020年度は、新品と中古合わせて400個以上を寄付した。

 

関係する人のことを第一に考え、町に貢献を続ける。気がつけば、なくてはならない企業として愛され、取引先は支援をしてくれる。そして、社員はみんな社長を慕ってくれる……。こうした好感のスパイラルを生み出す弓田氏の姿勢からは、多くのことを学ぶことができる。

 

機関誌そだとう209号記事から転載

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