ビジョンを示して、ミッションを伝え続ける
総論 公益財団法人日本生産性本部・主席経営コンサルタント 大場正彦さん
従業員が幸せになれば(ES向上)、そのパフォーマンスが上がり、顧客満足が高まる(CS向上)。その結果、売上や利益につながっていく──。これは企業経営の現場で長く説かれている考え方だが、実は必ずしも正解とは限らない。
「ESと業績向上の相関関係を示す各種データは、たくさんあります。しかし、個別に見ると、ESが高くても業績につながっていない会社が、たくさんあるんです!」
こう熱く語るのは、日本生産性本部で、多くの企業を支援してきた実績のある、大場正彦さんだ。
パフォーマンスを上げ、業績アップへの道筋に
「福利厚生が充実していて、給料が高ければESは高くなります。しかし、それで従業員だけが満足して、パフォーマンスを引き出すところまで、つながっていない場合も多い」
ESと成果の両方を向上させて、業績向上へとつながるチェーンを完成させるためには、足りないピースがあるのではないか。
そうした疑問から注目され始めたのが、1990年代にアメリカで生まれた「従業員エンゲージメント」という考え方だ。
「これは、(1)従業員が幸せで、(2)会社に愛着を持ち、(3)会社の成長に向けて、貢献しようと思っている状態を指します。この三つがそろったときにパフォーマンスが向上し、それが業績向上に結び付きます」
従来のESがカバーしていたのは、(1)と(2)の一部まで。(3)の貢献意欲まで考慮していなかったために、売上や利益が伸びないという状況が生まれていたわけだ。
ちなみに(2)「会社への愛着」(帰属意識・ロイヤルティー)があるだけでは、なぜ業績向上につながらないのか。大場氏の解説はこうだ。
「ロイヤルティーだけが高い状態は、江戸時代のお殿様に忠誠を尽くす、家来のようなもの。主君が優秀なら藩全体は潤います。ところが、現代の経営は環境変化が激しく、複雑・高度化しており、経営者一人の力だけでは限界があります。トップが強いリーダーシップで従業員を先導することも必要ですが、従業員が当事者意識を持ち意見や提案を出して自律的に行動しないと、現在の経営環境で勝ち抜くのは難しいでしょう」
どうすれば従業員エンゲージメントを高められるのか。鍵を握るのは“貢献意欲”向上だが、一足飛びにそこに着手してはいけない。
アメリカの心理学者マズローは、欲求5段階説を提唱し、人間の欲求は、段階的に高次なものになっていくことを説いた。
さらに、アメリカの心理学者ハーズバーグが提唱した2要因理論によると、従業員のパフォーマンスに影響する要因は、満足度の高さがプラスに働く「動機付け要因」と、満足度の低さがマイナスに働く「衛生要因」に分けられる。
貢献意欲を高めるには、順番がある。いきなり動機付け要因を充足し、貢献意欲を高めようとしても、空振りに終わりかねない。まずは、大きな不満を引き起こしている衛生要因の充足が先決である。
「衛生要因はパフォーマンスの土台になる部分であり、まずは“良好な職場環境”を整えることを考えるべきです。具体的には、労働条件や報酬、働きやすさに加え、人間関係や企業理念、風土など、価値観の共有化・浸透によって、不満が少ない組織にする必要があるのです」
トップ自らが語り、従業員に意識させる
経営リソースの問題で、労働環境の改善には、限界がある企業も多い。しかし、すべての企業が大企業のような水準を目指す必要はない。
「同規模・同業種の企業と比べて、見劣りしていなければよいでしょう。それなりの水準を満たしていれば、あとは動機付け要因で、満足度を高めていくことを考えましょう」
貢献意欲を引き出すために不可欠なものが二つある。「優れた従業員体験価値」と「ビジョンとミッションの明確かつ頻繁な伝達」だ。
優れた従業員体験価値は、顧客や同僚から感謝されたり、自分の成長を期待・実感することなどで得られる。具体的には、仲間からの賞賛(ピアボーナス)を仕組み化したり、社内表彰制度や、キャリアデザイン、教育の制度を、しっかりと整えるといった施策が有効となる。さらに、仕事の与え方も重要だ。
「単調な仕事の繰り返しではモチベーションが高まりません。さまざまな技能が必要で(技能多様性)、歯車ではなく全体を任され(タスク完結性)、意義がわかる状態で(タスク重要性)、裁量があって自分で考えて(自律性)、結果を把握できること(フィードバック)。これらを意識して仕事を任せると、従業員は仕事に価値を見出しやすいのです」
経営リソースに乏しい企業は、もともと従業員一人ひとりの、カバー範囲が広い。体験価値を高めるような仕事の与え方をしやすいといえるが、同時に注意点もある。
「丸投げのように『何でも自分で考えろ』では、キャリアの浅い従業員は不安を抱き、不満に発展する可能性もあります。経験や能力・意欲の状態に応じたマネジメントが必要です」
もう一つの「ビジョンとミッションの明確かつ頻繁な伝達」は、なぜ重要なのか。大場氏は例として、石工の寓話を教えてくれた。
「2人の石工がいて、1人は石の切り出しが雑で、もう片方は丁寧でした。雑な石工に何をしているのか尋ねたら、『命令されたから切っているだけ』と、仕事をただの作業ととらえていました。一方、丁寧な石工に同じ質問をすると、『この石は後世に残る大聖堂に使われる』。このように、作業の先にあるビジョンや目的を理解していると、仕事に対するコミットメントが深まって、パフォーマンスも高まっていきます」
もちろん、何らかの経営理念やビジョンを設定している企業は多いだろう。しかし、大切なのは、従業員が腹落ちするまで浸透させて、日々の仕事にどのように結び付いているのか理解してもらうこと。
そのために、アクションレベルまで具体化して、どのような方法で、繰り返し伝えていくのかを考え続けるように意識したい。
「コロナ禍によって、対面でのやりとりが、少なくなりましたが、逆にオンラインの活用が進んで、トップが現場の従業員にメッセージを、直接届けやすくなった面もあります。従業員が満足するだけで終わらせないよう、トップ自らがビジョンやミッションを語って、従業員のみなさんと共有してほしいですね」
従業員が安心感をもって、仕事に喜びを感じることが、業績の向上につながっていく……。
生産年齢人口の減少や高齢化、足元ではコロナ禍と経営環境は厳しさを増すなかで、成長を続けるためのヒントは、従業員エンゲージメントに、隠されているのではないか。
話を聞いた方
公益財団法人 日本生産性本部
主席経営コンサルタント
大場正彦さん
機関誌そだとう208号記事から転載