仕事に全力を注いで時間は創る。ラリー参戦が、人生の活力に!
愛車のスバル・インプレッサWRX-STIと。
「レースの魅力ですか? それは、“競う”ところですよね。どうしたら人より速く走れるか。そこを考えて車を整備したり、コース取りを判断したり。スピード狂というところもあるかな。750ccのバイクにも乗っていて、今年の3月には富士スピードウェイの直線で260キロ出したんです。このバイクというのが、1987年に限定販売されたホンダの『RC30』という名車でね。でも、最近のバイクは300キロ出るからピュッと抜かれるんだ」
「悔しくてね」と口にしつつも、実に楽しそうに話すのは、株式会社仲田コーティングの松野竹己代表取締役だ。同社は自動車の助手席用エアバッグの開口部加工機やインパネの表皮材製造装置など、自動車部品製造装置の開発・販売や、粉体樹脂コーティングといった表面加工事業を展開。国内外の大手自動車メーカーと広く取引のあるエクセレントカンパニーである。
ただ、本社の社屋には、事業に関わる展示物よりも多いのではないかと思うほど、そこかしこに世界各地で参戦したラリー・レースの写真やトロフィーなどが飾られている。
「2019年には念願のラリー・スウェーデンに、Mスポーツというイギリスのチームからフォード・フィエスタR5を借りて参戦したんです。完走した車だけが上がれるステージで撮った写真もあるんですよ」
ラリー・スウェーデンは、スタートからゴールまで、すべて雪道を走るレースで、高いドライビング技術が求められる。その過酷なレースで、71歳の松野さんはドライバーを務めゴールまで走り切っている。最高齢の参戦者であり、完走者であった。
(右)モンゴル国内4257kmを8日間かけて走破する国際ラリーレース「ラリー・モンゴリア」。
写真は2019年、ハンドルを握るのはもちろん松野社長だ。
(左)レースを支える「チームFA-Coat」のメンバー。会社の有志で組織している。
レースのために起業するが、会社と社員を思い、趣味の域で
松野さんが、車に興味を持ち始めたのは、60年以上昔のことだ。神奈川県上菅田町で暮らしていた当時、町内初となる三輪オートバイを父親が購入。その後も乗用車、トラックと増えていく車に興味を掻き立てられていった。中学生になるとエンジン部に入部して、『Uコン(コントロール・ライン)』という模型飛行機を作製する傍ら、使わなくなった耕運機のエンジンを使ってゴーカートのような乗り物を自作してしまうほどの知識を身につけていたという。
「いつの間にか、レーサーになることが目標になっていました。卒業後は整備士になろうとも考えたのですが、先輩によると給料が非常に低いらしい。モータースポーツを続けるには稼ぐ必要があったので、トラック運転手や八百屋をしていました」
人の2倍以上働き、着実に収入を増やしていったものの、一人で稼げる額には限界がある。八百屋は朝が早く土日も休めないためレースに出る余裕もなくなっていった。
「レースをしながらもっと稼げる仕事はないか探していたとき、友人が樹脂コーティングの研究開発をしていると知ったんです。当時メッキやコーティング廃液による環境汚染が問題になっていたため、環境負荷の低い友人の研究内容はこれから伸びると思い、起業を持ちかけました」
この読みは的中し、仲田コーティングは順調に業績を伸ばしていく。社員も増え、ますます仕事が増えるという好循環が続いた。結果、皮肉なことに、レースに出る時間はみるみるなくなっていった。
「仕事も面白いし社員を養っていく責任もある。レースは、趣味の域にしようと決めました」
このときから、仕事に全力を注いでつくり出す時間を使って、国内外のラリー・レースに参戦するようになる。全日本ラリーに5回参戦。香港~北京555ラリーではクラス2位、総合8位という成績を残している。パリ・ダカールラリーは、参戦した2回ともリタイヤしたが「リビアからチュニジアへボーダーを超える手続きで苦労したり空港で出会った日本人女性に助けられたり、得難い体験ができて楽しかった」そうだ。
「鎖骨を3回、肋骨も4、5回折っているけど、またすぐに行きたくなるんですよ。今もコロナ禍があけたら11月に滋賀で行われるレースに出ようと画策しているところです」
待ち遠しそうに、そう語る松野さんにとってのレースは、まさに、前向きな人生の活力となっている。
松野竹己代表取締役
- 主な事業内容:
- 粉体樹脂コーティング、FAコート部品、樹脂成形品、自動車内装部品の製造・販売ほか
- 本社所在地:
- 神奈川県横浜市
- 社長:
- 松野竹己
- 創業:
- 1970年
- 従業員数:
- 100名
機関誌そだとう207号記事から転載