絶えず、次の次を見据えて立案する
CASE③株式会社常光
「同じことを続けていても、良くて横ばい、普通はダメになっていきます。ジリ貧になるのは目に見えていますから、絶えず新しい事業をやっていくしかない」
創業74年を迎えた株式会社常光の服部直彦代表取締役社長は、自社の挑戦の歴史を振り返り、総括する。
服部直彦社長
- 主な事業内容:
- メディカル分析装置・体外診断用医薬品の研究開発・製造・販売ほか
- 本社所在地:
- 東京都文京区
- 創業:
- 1947年
- 従業員数:
- 219名
常光が現在、力を入れているのがナノテクノロジー事業だ。ある素材を細かくして工業製品化するとしよう。たとえば、木材の繊維をナノレベルに細かくほぐせば、鋼鉄と同じ強度を持ちながら重さは約1/5のセルロース・ナノ・ファイバー(CNF)という素材になる。ただ、単に微粒化するだけでは相互に凝集してしまい、品質が一定にならない。常光が製造しているのは、細かくしたものを分散したまま微粒化する装置。CNFだけでなく、さまざまな分野の新素材開発や製造に活用が期待されており、事業の将来性は高い。
現在の注力事業を聞くと、常光に対して研究開発型の素材系加工装置メーカーという印象を抱くかもしれない。しかし、74年前の創業時は医療資材の専門商社。現在とは取り扱い商品やビジネスモデルが大きく違っていた。また、同社はナノテクの他にもさまざまな新規事業を立ち上げており、現在は一言で表せないほど事業ポートフォリオは多様化している。いったいどのような経営判断で事業を再構築してきたのか。さっそく歴史を紐解いてみよう。
組織や植物など、さまざまな種類の材料を均質化するナノテク実験装置「NAGSシリーズ」。
誰でも気軽に使用できる卓上小型機「NAGS20」(右上)と、大量処理に最適化した「NAGS1000」(左)。
北海道各地に営業所を展開。X線フィルムで道内トップに
同社の創業者、服部敬七郎氏は、現社長の父に当たる。敬七郎氏は海軍の飛行機乗りで、太平洋戦争中に内地で事故に遭って片腕を失った。それを機にキリスト教に入信。戦後、「世の中の役に立つことをしたい」という思いで起業を決心した。
「もともと父の兄が東京で、ピンセットなど医療関係の小物を販売する会社を経営していました。その関係で、1947年に父の弟たちと計3人で創業。ただ、東京では事業を大きくすることは難しいと判断して、2年後に北海道に拠点を移しました。私の祖父が北海道に所縁があり、その伝手を頼って進出したようです」
当時、メインで取り扱っていた商材はレントゲン用のフィルムだ。富士フイルムの代理店となり、大学病院などに御用聞きをして、一括して仕入れて販売していた。そのころは国全体で物資が不足しており、フィルムや注射器などの医療資材も飛ぶように売れた。
事業はすぐに軌道に乗り、帯広、旭川、釧路、函館と、全道に支店や営業所を次々に開設した。当時、北海道で先行して医療資材を取り扱うディーラーもあったが、競合は札幌にしか拠点を置かなかった。各地に営業所を置いて顧客との関係を強化する戦略が奏功し、10年余りで、従業員数200人を超える規模へと成長する。
強い商材を持っているなら、次は他のエリアに進出して、商圏を広げる戦略が有力な選択肢の一つだ。しかし、同社はディーラーとして本州に進出することは考えていなかった。「北海道ではお客様と緊密な関係を築いていたので、ある程度の利益率でビジネスができました。しかし、本州は競合ディーラーが多く、利益率は大きく下がってしまう。薄い利益率でやるならかなり手広くやらなくてはいけませんが、それは、リスクが高いと判断したようです」
ディーラーとメーカー、二つの事業を持つ利点
では、新たな成長のエンジンをどこに求めたのか──ものづくりである。当時、血液検査の分析手法として先端だったのは「電気泳動」だ。電気を流して血液中のたんぱく質を調べる手法で、発明したスウェーデンの学者がノーベル賞を取るほど画期的だった。ただ、日本にはまだ普及しておらず、数少ない分析装置も輸入品のみだった。敬七郎氏はアメリカ帰りの大学の教授から「これをつくれば売れるよ」と聞きつけ、国産化を決意。63年、東京に研究所をつくって開発に乗り出した。
研究所といっても、常光はディーラーであり、営業に長けた社員は大勢いても、エンジニアはいない。そこで研究所開設にあたり、北海道から機械好きな従業員約20人を募り、異動してもらい、東京でも1年間で、新たに約50人を採用した。
「研究所には寮が併設されていました。当時、まだ私は幼かったので記憶は定かではないですが、従業員が自分の血液を使って実験していたことをおぼろげに覚えています」
研究所の総工費は、服部社長曰く、「2億~3億円」。60年代半ばから企業物価指数は約2倍になっているので、現在なら少なくとも5億円は下らない設備投資になる。電気泳動の将来性の高さを教授から聞いていたとはいえ、中小企業にとっては大きな挑戦だ。
「元々、ものを仕入れて売るのでなく、自分でつくって売ることが父の夢だったようです。そういう意味では、必要に迫られたとか、儲かる確信があったというより、やりたいからやったといったほうが実態に近いでしょう」
創業者は自身の夢に賭けているのだから、新規事業へのモチベーションは高い。しかし、稼いだお金を本州に投資されたディーラー部門の社員は、創業者の決断に必ずしも賛成ではなかった。当時のナンバー2が、独立をちらつかせて再考を迫ったこともあったという。創業者は、「医療資材のディーラーで独立しても、儲かるのはいまのうちだけ」と説得して、分裂を回避した。
熱意で引っ張るだけではなく、理をしっかりと説いたことで、ディーラー部門の社員の不満を解消した。
紆余曲折はあったものの、研究は順調に進み、64年にはセルロースアセテート膜の電気泳動装置の開発に成功。従来型と比べて分析に必要な血液は1/10以下、分析所要時間は30分と大幅に短縮されて、以後同社を支える商品となる。さらに研究を続けて93年には、全自動の電気泳動装置を開発。メーカー部門の成長に大きく貢献した。
迅速・シンプル・コンパクトな全自動電気泳動装置「CTEシリーズ」。
透明化に必要な有機溶媒を用いない、独自の半透明測定方式を採用。
全自動機開発の成功は、同社がメーカー機能に挑戦してから30年目のこと。このころには社員数はディーラーとメーカーで半々、売上はメーカーが2割を占める規模まで育っていた。
同じ医療分野でも、フィルムと電気泳動装置では顧客が異なり、その面のシナジーはなかった。しかし、資金繰りの面ではディーラーとメーカーを手掛けるメリットがあった。
「ディーラーのほうが、仕入れから支払いまでの間に時間があり、常に手元資金に余裕がある状況でした。これをメーカーの開発・製造資金に使えたので、安定した経営を続けられました」
しかし、かつて創業者が予測した「儲かるのはいまだけ」も現実のものになる。富士フイルムが医療フィルムの生産から撤退してデジタル化に移管するに伴い、ディーラー部門は大きく売上を落とすこととなる。同じくフィルムに特化していた競合は倒産したが、常光はメーカー部門も携えた両輪経営であったためこの危機を免れた。その後、ディーラー部門は放射線関係の機器販売に活路を見出すが、軌道に乗るまで支えたのもメーカー部門だった。
メーカー部門が軌道に乗るまでディーラー部門の稼ぎで支え、危機に陥ったディーラー部門が復活するまでメーカー部門の稼ぎで支える。二つの事業に直接のシナジーはなくても、二本足で立つことでさまざまな危機を乗り越えてきたのである。
タイミングよく新製品が登場する理由
事業を複線化させて以降も、常光は新たな事業創出に挑戦し続けている。2006年にはメーカーとして病理分野に進出。病理検査する組織をホルマリン固定してスライスする前のプロセスを自動化する装置を開発した。このときは研究所のエンジニアの4割を病理部門に充てる。ちなみに医学博士だった服部社長は、00年に入社。この病理分野の事業開発の指揮を執った。
また、元々のメーカー部門では、赤血球沈降速度測定装置や電解質分析装置を開発。画期的なイノベーションを起こしたわけではないが、既存の機器より検査精度が高く、堅実に売れている。
(左)シンプルな構造で場所を選ばない病理用マルチレーザープリンタ「Smart Marker」。(左)
全自動赤血球沈降速度測定装置「Smart Rateシリーズ」。(右上)
全自動電解質分析装置「EX-G」。独自開発のイオン選択式電極と透析液専用の校正機能を搭載し、ランニングコスト低減を実現。(右下)
(右)体外診断用医薬品「ヒストラ HER2FISH キット」。乳がん・胃がんにおけるHER2遺伝子の増幅を、簡易な操作で測定できる。
「メーカー部門の主力だった電気泳動は新しい分析方法に取って代わられて、現在は下火です。オリンパスさんが長らく競合でしたが、3~4年前に撤退しました。しかし、地道に開発した装置が電気泳動の落ち込みを補ってくれています」
タイミングよく次々と新しい装置が開発される背景に、常光の高い技術力があることは間違いない。ただ、次の柱になりうる新製品を開発したいという思いは競合も同じだ。なぜ同社は、それを可能にする技術力を身につけることができたのか。そのように問うと、服部社長は「人が一番」と答えた。
「わが社は、現場が好きな研究を比較的自由にやれる環境が整っています。そのせいか、研究熱心な技術者が多く、ユニークな装置の開発につながっています」
ナノテク事業をベースに、ポートフォリオを描く
これまで同社は新たな事業を創出する際、内部リソースを活用してきたが、必ずしも内部リソースのみにこだわっているわけではない。実際、M&Aで新しい事業を買ったケースもある。冒頭に紹介したナノテクノロジー事業がそうだ。
「あるホテル会社の子会社が、きれいに仕上げるためにペンキを細かくする装置をつくっていました。しかし、ホテル会社がその事業を売却することに。既存事業との明確なシナジーは見出していませんでしたが、素材開発に応用できる面白い技術だと考えて、引き取ることにしました」
現在、ナノテクノロジー事業は微粒化の受託加工が中心で、売上も全体の数%にとどまっている。しかし、素材を微粒化する技術は幅広い分野で活用が可能であり、潜在的な市場は大きい。「将来はナノテク事業が全体を引っ張り、ディーラーとメーカー部門が堅実に稼ぐという事業ポートフォリオを目指す」と服部社長は語る。
興味深いのは、服部社長はすでに次の次を見据えていることだろう。
「創業者の父は、人工肺装置を人に紹介されて、『潜水艦で酸素が少なくなったときに使える』と防衛省に売りに行ったとか。発想と行動力のある経営者でした。他方、私はそこまでの行動力はないのですが、将来大きく育つ事業がないか、いつも情報にアンテナを張るようにしています。最近興味を持っているのは食料関係、とくに昆虫食です。また新しい事業の芽につながればおもしろいですね」
創業以来、絶えず新しい事業を模索してきた常光。数年後にはナノテクに続く第4の柱、第5の柱が育っている可能性もある。今後の展開にも引き続き注目だ。
機関誌そだとう207号記事から転載