成長企業に必要とされる“能力”とは?
総論 慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授 菊澤研宗さん
「VUCAの時代」といわれる現代。社会やビジネスの環境、市場ニーズなど、あらゆるものが激しく変化し、将来予測が困難になっている。そうした中で企業は、持続的な成長に向けて懸命に努力する。事業の再構築はその一つで、新規事業の創出に取り組む企業も多い。しかし、新規事業を成功させ、成長を続ける企業に必要な能力とは何なのか。そのヒントになるのが、近年、注目を集めている戦略経営論「ダイナミック・ケイパビリティ」だ。
二つのケイパビリティの相互作用で、持続的成長につなげていく
この分野の第一人者である菊澤研宗・慶應義塾大学商学部・大学院商学研究科教授によると、企業のケイパビリティ(能力)には大きく2種類あり、一つがオーディナリー・ケイパビリティ、もう一つが、このダイナミック・ケイパビリティになる。前者は、企業内の業務を効率的に行う「通常能力」のことであり、後者は、「変化対応的な自己変革能力」だという。
「通常能力は、組織のオペレーションや管理、ガバナンスなどの能力です。つまり、ビジネス環境が安定していて、決まったパラダイム(事業構造)の中でコストを削減し、ビジネスモデルをより効率的に実行していく能力です。これは外部環境の変化とは関係ない内向きの能力です。しかし、この能力だけに注力していると、外部環境との乖離が大きくなり、淘汰されます。そこで必要になるのが変化対応的な自己変革能力です。これは変化する外部環境と既存の事業構造とのズレを感知し、環境の変化に対応するように自己変革する外向きの能力で、不確実性が高く、変化の激しいビジネス環境下で求められる能力といえます」
大事なポイントは、この自己変革能力は新しいものをゼロから生み出す能力ではないこと。環境の変化をいち早く感知し、そこに新たなビジネスの機会を捕捉し、既存の知識や人材、資産とともに、通常能力も再構成・再配置・再利用して新たな価値を創出する能力だ。このように、二つのケイパビリティの相互作用によって付加価値を高め、企業の持続的成長につなげていくことになる。
自己変革能力を発揮して新しい事業構造の創出に成功した代表例が、富士フイルムホールディングスだ。
写真フィルムメーカーだった同社は、デジタルカメラの普及で市場が急速に縮小する中、多角化に乗り出し、コラーゲンをめぐる写真技術を生かして化粧品分野への参入に成功した。このように「既存技術の転用を可能にする」ことは、自己変革能力の有用性の一つだ。ただ、富士フイルムのように成功するケースは少ない。それは「日本的な“成功”の罠」に陥っているためだ、と菊澤教授は指摘する。
「一般に成功の罠とは成功後の気の緩みによって失敗することを意味しますが、日本企業の場合は逆で、ある事業構造で成功すると、まじめな日本人はその構造を徹底的に精緻化します。その結果、大きな環境の変化に対応できず、失敗するのです。まじめさゆえの『パラダイムの不条理』と、私は呼んでいます」
なぜこのようなパラダイムの不条理に陥るのか。なぜ自己変革できないのか。それは、まじめに精緻化してきた既存の事業構造(成功パラダイム)を放棄すれば、これまでの投資すべてがムダになる、つまり「埋没コスト」が発生するとともに、既存構造を維持していれば得られるはずの利益も失う、つまり「機会コスト」が発生するからである。さらに、自己変革に反対する人々を説得する「取引コスト」も大きい。
「頭のいい人ほどそうしたコストを幅広く認識できるので、『現状が非効率的でも変えないほうが合理的』であるという不条理に陥りやすいのです」と菊澤教授。
「共特化の原理」によって、ビジネス・エコシステムへ
ただ半面、日本特有の企業文化や働き方が、大きな強みにもなる。
「日本では、労働市場の流動性は低い。一方、会社内部の人事異動による労働流動性は比較的高く、この特徴が自己変革能力と非常に相性がよいのです。つまり、変化に対応して社内の人的資源を再構成・再配置・再利用しやすいのです。企業がパラダイムシフトをするために組織を再編しても、ほとんどの社員は会社にとどまり、その変化対応に熱心に取り組んでくれます」
この日本企業の強みを生かし、パラダイムシフトを成功させるポイントが、「共特化の原理」である。「共特化の原理」とは、「個別に利用しても大きな価値を生み出さない、特殊な資源や知識を結合させて生まれる相互補完的な効果」のことだ。
「新規ビジネスを立ち上げるとき、社内の技術や知識を結合させることも大事ですが、単独で展開するのではなく、この原理をもとに、開発や材料調達、製造、販売などの面で、外部の協力会社などを巻き込んで、いかに『ビジネス・エコシステム』(ビジネス上の生態系)を形成するかが重要になります。個別企業が絶えず単独でより優れた商品やサービスを提供するのには限界があります。多様な企業と協力し、社内外の既存の資産や技術を再構成・再配置・再利用することが、新規事業や新しい付加価値の創出を成功させる上で大切になります」
これは、音楽に例えると理解しやすい。ある楽曲をめぐって、音符一つひとつを単音で聞いても、単なる音の集合(部分の総和)でしかないが、連続して聞くとメロディとなり、個の総和以上の全体としての特徴を理解できる。企業も同じで、企業内外の資産を再構成・再配置・再利用し、単なる個の総和以上の全体を形成し、新しい付加価値を創出するという発想が、有効なビジネス・エコシステムの形成につながるのだ。
「自己変革能力を用いた新たな事業構造の創出は容易なことではありませんが、新規事業や大きな変革には、日本の中小企業が重視してきたトップと社員との間の信頼感、思い入れ、共感などの要素も重要な役割を果たします。世界に誇る日本の中小企業が有する二つのケイパビリティや組織風土を活かしてさらなる成長を果たすことを期待しています」と、菊澤教授はエールを送る。
話を聞いた方
慶應義塾大学商学部
大学院商学研究科教授
菊澤研宗さん
機関誌そだとう207号記事から転載