起業列伝

コトを成すためには、不退転の気持ちで没頭する・・・・
量を質に転化する“ナンバーワン”哲学

シリウスグループ

「目指すのはいつも1番。ナンバーワンでなければ気が済まない性分なんです。それが経営に活きたかな」

そう言って笑うのは、岩手県を地元とする建築会社「シリウスグループ」の代表・佐藤幸夫氏(73歳)だ。47歳で起業した彼だが、その成功の裏側には、負けず嫌いな性格と仕事へのひたむきな姿勢があった。

佐藤幸夫さん
シリウスグループ代表

1947年、秋田県昭和町(今の潟上市)生まれ。
1966年に秋田県立秋田商業高等学校を卒業し、1994年に昭和住建株式会社を設立。
その後、2001年に株式会社フォーユーに社名変更、さらに、2004年、株式会社シリウスに社名を変更する。

シリウスグループ
事業内容:
住宅の施工、販売、リフォーム、太陽光発電システムの施工、販売
本社所在地:
岩手県盛岡市
代表:
佐藤幸夫
創業:
1994年
従業員数:
142名

「量は質に転化する」。それを確信した少年時代

佐藤代表は、1947年に秋田県昭和町(現在の潟上市)で、豆腐屋の長男として生まれた。

「豆腐屋はとにかく朝が早いんです。両親は朝2時、3時に起きて、休みなく仕事をしていましたね」

小学生の頃から家業の手伝いを始める。今でも続けている早起きの習慣は、ここにルーツがある。

中学生時代は勉学に励む生徒だった。持ち前の負けず嫌いな性格もあり、両親の仕事を手伝いながら、1日8時間の勉強をこなし、成績は常にトップクラスだったという。

高校は商業高校へ進学。ここでは一転、全国屈指の実績を有するレスリング部の門をたたき、部活動に没頭した。激しい練習を日々こなしながら、主将としてチームを牽引し、インターハイにも出場。団体戦では準優勝という輝かしい成績を残した。

しかし、この準優勝には苦い思い出もあるようだ。

「決勝のリング上で『この試合が終わったら、もう苦しい練習をしなくて済む』と思ってしまったんですよ。まさに“油断”です。最後の最後で気持ちが緩んでしまったから負けたと、今でも思っています」

やり遂げるまで決して気を抜いてはいけない、という教訓が骨身に染みた瞬間だった。

銀行への就職と豆腐屋&塾の兼業時代

シリウスグループが手掛ける住宅の外観と内観。

佐藤代表は少年時代を通じて、自身の成功の方程式を見つけた。「量が質に転化する。勉強もスポーツも同じだ」。時間をかけて量をこなしていけば、必ずどこかで、それが質に変わる。この確固たる信念は、佐藤代表の原点となっている。

高校卒業後は、仙台の銀行に就職。ここでも、トップの成績を残せるように人一倍の努力は惜しまなかった。

「資金繰りやお客さんとの交渉術などを勉強させていただきました」

しかし、銀行勤めを始めた際は、頭取を目指すも、厳しい現実を目の当たりにした。また、両親が気になっていた佐藤代表は、銀行を4年で退職、秋田で1番の豆腐屋にする決心を胸に家業を継いだ。

「商売がうまくいっていたからね」と笑うが、長男としての責任感もあったのだろう。家業は順調だったが、ふとあることが気になり始める。

起業直後は少なかった社員も、
規模拡大と連動して大所帯となった。

「地元に学習塾がなかったんですよ。子どもには無限の可能性があります。能力を伸ばせる時期に、もったいないと感じました」

地元にいい人材をたくさん生み出したい。そんな思いから中学時代に勉強に励んだ経験を活かし、豆腐屋と学習塾の兼業を始める。小、中学生を対象に、徹底的な反復練習を軸とした勉強習慣を定着させると、生徒たちの成績は瞬く間に上がっていったという。

「私は、人に教えるのが好きなんです。当時は考えませんでしたが、学習塾を本格的に事業展開するという手もありましたよね(笑)」

しかし、当然ながら兼業は激務だった。朝の3時から昼2時過ぎまでは豆腐屋、夕方から夜の9時頃まで塾で子どもに勉強を教えるという生活スタイル。これを10年以上続けたという。

「たしかに長時間労働でしたが、疲れは全然感じませんでしたね」

しかし、間もなく佐藤代表に大きな転機が訪れる。

大病をきっかけに、人生をかけた新たな挑戦へ

多忙な毎日を過ごしていた41歳のある日、異変が佐藤代表を襲った。

「怪我をして入院していたときでした。突然、胸に激痛が走って。体にダンプカーでも載ったんじゃないか、という衝撃でした」

重度の肺梗塞で、一時は心肺停止状態になる。入院中だったことが幸いし、一命をとりとめた。奇跡的な生還。とはいえ、この病気を境に、体力勝負である豆腐屋を続けるのは難しくなり、同時に塾もやむなく閉鎖。人生の再出発を強いられる。しかし、この逆境の中でも、佐藤代表は前向きだった。

「人生は一度きり。新しいことに挑戦しよう。いつか死ぬのであれば、たとえば住宅や不動産……、そんな、生活者の人生に大きく関わるような仕事がしたい。そして、1番になる。それを成し遂げてから死のう」という思いが湧き上がったという。半年間の闘病生活の後、友人から住宅会社の共同設立をもちかけられる。

「一度は死んだ身、思い切ってやってみよう」と、互いにお金を出して会社を設立。未経験の業界だったが、銀行時代に培った交渉術と負けん気の強さが役に立つ。3〜4年が経ち、会社も軌道にのり、売上が10億円ほどになる中、佐藤代表はその半分を一人で稼いでいたが、「これならどこに行っても通用するはずだ」と、独立を決意。また、大きな挑戦をしたくなっていた。

起業に際して、まず問題となったのは「場所」である。地元で起業すると、古巣の会社と競合してしまう。そこで自身の退路を断つため、無縁だった盛岡を勝負の地として選んだ。

「不退転の覚悟を持つには、いい場所だと思いましたね。知らない土地だからこそ甘えが生まれません」

大手の競合に比べ、良質・安価で定評のある住宅メーカーとのフランチャイズ契約に成功。1994年にシリウスの前身である「昭和住建株式会社」を設立した。47歳のときのことだ。設立時は一日中営業で駆け回った。創業後3年間は「セブン・イレブン体制」。つまり、朝の7時から夜の11時まで仕事に励んだ。

「それだけやって、もしも失敗したら、岩手と秋田の県境にある仙岩峠に身を投げて責任を取るつもりでしたね……(笑)」

いざというときのために、自身にかけた保険金は2億円。文字通り、決死の覚悟で挑んだ起業だった。

このとき心の支えになったのは「凡人なる者が物事を成就するには狂を発揮せざらん」という、幕末の風雲児・高杉晋作の言葉だ。

「これは、何かコトを成すには没頭しなければ不可能、ということですよね。これほどの人物がそう言うのだから、夢中で取り組みました」

そんな言葉を胸に、1日200件訪問のノルマを必死でこなした。

大きな目標は有言実行。「負け戦」はやらない

佐藤代表の流儀、それは目標を立て、必ず達成すること。裸一貫始めた事業においても、まず3つの目標を立てる。「5年以内に岩手県の地元住宅会社の中で着工数1位」「10年以内に大手ハウスメーカーを抑え県内着工数1位」「15年で売上50億円」というものだ。どれも大きな目標だが、達成できないとは考えなかった。自身はもちろん、社員にも浸透させて日夜奮闘する。なんとこの大風呂敷ともいえる目標を佐藤代表はすべてクリアする。そして、2005年から現在に至るまで、「岩手県内持ち家着工数1位」を16年間連続で達成している。

「ナンバーワンを続けると、一つのレガシーになりますよね。2番ではダメなんです。1番になれば、歴史に名を残せる。そうすれば、お客様はもちろん、社員やその家族にも誇らしく思ってもらえます。その思いを胸に、毎年、絶対に県内で1番になろうと誓い、実現しています」

この強い意思が、最高の結果を手繰り寄せてきた源泉といえるだろう。だが、業績を伸ばし続けているシリウスグループにも危機はあった。住宅以外に事業を広げようと、15年ほど前に、ラーメン店のフランチャイズに乗り出したときのことだ。

「いくつかの県で店を出したのですが、下地のない分野なのが響きました。人気店になっても繁盛は6カ月から1年程度。大きな損失を出して、失敗に終わりました」

佐藤代表は、この躓きから経営者としての大きな学びを得る。「負ける戦は逃げるに限る」というものだ。

「店舗拡大や事業拡大に無理は禁物。経営者の目が届かないと管理が甘くなります。会社を大きくするためには日夜努力が必要です。ただ、失敗しそうな事業を闇雲に続けるのは最悪手。私は意思決定が速いので、損切りもパッとできるんです。」

グループ成長に不可欠な「住宅」と「社員」への思い

佐藤代表の根底には、“家”への思いがある。では、住宅会社のあり方については、どう考えるのか?

「住む家は、人の人生を支えていく神聖なもの。住宅と向き合う仕事は『聖職』である、と考えています」

住宅に対しての真摯な気持ちこそが、事業拡大の礎なのだろう。

「質の良い家を、適切な価格で県民の皆さんにご提供するのが、私の使命。家は大きな買い物です。お客様に寄り添ってアフターフォローも不可欠です。そのためには、会社が存続し続ける必要がある。そうした覚悟を持っています」と佐藤代表は熱く語る。その決意は、経営理念の「安心安全の家づくり」にも表れる。

そんな神聖な「家」を提供するために欠かせないのは、他でもないシリウスグループの社員である。故に、佐藤代表は、人材育成に力を注ぐ。社員教育は、モチベーションアップと経営理念を浸透させるものと位置付け、特に新入社員には、自らが3日間かけて指導する。学習塾時代に行っていた指導方法も活かし、反復練習で経営理念を教え込むという。

この理念の中には「安心安全の家づくり」とともに、「社員の物心両面の幸せを最大限追求する」を置いているが、これらを毎朝礼で復唱する。「グループが目指すべき姿」を体の隅々にまで浸透させていくのだ。「私は、良いと思うことは強制するべきという考えです。実際に声にすると、体が勝手に覚えてきます。言葉が染み付き、無意識のうちに行動が伴ってくるのです。まさに量が質に転化するのです」

また、社内ではネガティブにとらえられる言い回しを徹底して使わない。ため息も人前で禁じている。

「心がすべてを支配するのです。だから気持ちがネガティブになるような言動は諸悪の根源。厳に慎むべきなんですよ」と佐藤代表は語る。

日々理念の追求に尽力する社員には利益還元も忘れてはいない。

「『社員の物心両面の幸せ』という経営理念を実現しなければ、お客様により良いサービスを提供することができません。まずは社員が幸福であるべきです。社員の幸せのためには、報酬が不可欠。最大限、給料を上げていくようにしています」

福利厚生も充実している。たとえば、新入社員が新生活の準備やスーツの代金、引っ越しの代金に充てられるように、入社時最大20万円を支給する「支度金制度」がある。会社をリードする若い人材を少しでも支えたいという思いから実現した制度だ。また、第2子が誕生した家庭には50万円、第3子には100万円を支給する「子育て支援制度」も設けている。佐藤代表の教育方針と社員への利益還元は好評だ。

「私としては、社員にさらに情熱を持って仕事をしてほしいと願っています。『仙台に新しい支店を出したいので1億円出してください!』などと言ってきてもいいんです。失敗しても死ぬわけじゃないんです」

シリウスグループの明日と人生をかけて果たしたい思い

佐藤代表にとって一番の脅威となるものは、「自分の心」だという。

「『築城百年、落城一日』、油断ほど怖いものはありません」

佐藤代表は今も会社の誰よりも早く出勤し、質素な生活を心がけているが、それはすべて己を律するため。起業後の崖っぷちの気持ちを忘れないように、創業当時とほとんど変わらない生活を送っているという。

「経営者は孤独で、不安に襲われるもの。毎日が、お客様や社員の信用を裏切らないか、負債を抱えないか、といった恐怖心との戦いです。しかし、それに立ち向かいながら、歩んでいくしかない。目標を口に出して、自分や部下に浸透させていくのはもちろん、それに向けて不断の努力をしていく必要があります」

経営者として、重い責任を負い続けたからこそ響く言葉だ。佐藤代表に今後の展望を聞いてみた。

「シリウスグループを、売上200億円の企業にします」

明確な数字を挙げては有言実行してきた佐藤代表。今度はこの目標に向かって進む。その一方で代表を退いた後のビジョンも明かしてくれた。

「次世代の経営者に対して支援をしていきたいですね。起業家は迷いながら日々励んでいる。活路を切り開くために私の経験が役に立つのであれば、貢献したいと思っています」

ナンバーワンを標榜し、達成し続けるためには多くの辛苦があるだろう。しかし大きな目標を持って着実に行動していけば、人はついてくる。シリウスグループを一代で築いた佐藤代表が広げる「大風呂敷」は、いまだとどまるところを知らない。

機関誌そだとう206号記事から転載

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