「三方よし」で共通価値を創造
「ハルユタカ」「ゆめちから」「春よ恋」……一体、何の名前だろうか?
答えは北海道産(以下、道産)小麦の品種名だ。なかでもハルユタカは、パンにしたときの香り、モチモチ感が格別だと全国区のブランド麦に成長。
このハルユタカを含む道産小麦の普及に30年以上の歳月をかけて取り組んできたのが、江別製粉の安孫子建雄会長(77歳)である。メーカーならば、通常は機械の大型化で効率を図るが、それの逆を行く取り組みでも顧客の支持を獲得している。
今回の優秀経営者顕彰・地域社会貢献者賞の受賞理由も「幻の小麦といわれた道産小麦『ハルユタカ』の普及に尽力。小規模プラントによる小麦粉の生産にも成功し、ブランド化に貢献した」ことだ。
「受賞は寝耳に水でしたが、私も社員も力づけられました。何より、我々の“歩み”を認めていただけたことがうれしい」と安孫子会長。
1943年生まれ。66年、千葉工業大学卒業後、江別製粉に入社。
96年社長に就任し、北海道産小麦の普及に貢献。
2016年より会長。04年から19年まで江別商工会議所会頭として地域経済発展に貢献。
趣味はドライブで、いまも赤い愛車のハンドルを握る。
- 主な事業内容:
- 小麦粉・ミックス粉・飼料の製造、販売
- 所在地:
- 北海道江別市
- 創立:
- 1948年
- 従業員数:
- 61名
輸入品の風味に勝る道産小麦ブランド化を
本社のある江別にはいくつもの畑があり、毎年たく
さんの顧客が訪れる。
(下)一面黄金色に染まる小麦畑で刈り取りが進む。
江別製粉は道産小麦を原料としたパン用、菓子用、ラーメン用などの小麦粉や小麦品種別の小麦粉を製造し、卸業者や一般家庭向けに全国で販売を行っている。さまざまな食品の原料となる小麦粉だが、実はその約9割が輸入の原料だ。残りの約1割が国内で生産される小麦で、年間約80万トン、その7割以上の55万〜60万トンが道産だ。うち、ハルユタカは3千トン弱と少ないながら、同社はその大半を扱う。さまざまな道産小麦品種が登場しては消えていく中で、ハルユタカは、古株ながらブランド力を誇り続ける銘柄だ。
一般的に、国産品は輸入品と比べ高価・高品質だと思われがちだが、小麦粉業界の歴史は異なる。アメリカやカナダからの輸入品に対し、国産品は生産量も少なく、パン原料には向かないとされ、せいぜい輸入品を増量する“混ぜ物”としてしか使われてこなかった。
「かつては、パンにはカナダ産小麦が常識で、国産でパンを焼こうという人は相当マニアックだと思われていました。だから製粉メーカーは扱わないし、私自身もそう考えていた。でも、実はハルユタカでおいしいパンが焼けることを、一般家庭のお客様が気づかせてくれたのです」
生き残りへの危機感から家庭用パンミックス開発
ハルユタカときたほなみをブレンドした製パン
用「はるゆたかブレンド」、菓子用「ドルチェ」、
菓子・うどん・天ぷら用「薄力粉」、菓子用ミッ
クス粉「おやつイン」。
江別製粉は安孫子会長の父である安雄氏が1948年、江別市に創業。積極的に設備投資し、中堅製粉会社に成長したが、66 年、安雄氏がわずか57歳で急逝。長男の安孫子会長が、ちょうど千葉工業大学工業経営学科を卒業する日のことだった。
道外の企業に就職を予定していた安孫子会長は急遽帰省し、同社に入社。2代目社長には設備関係を長く担当してきた安雄氏の甥・御坊田善雄専務が就任、安孫子会長は通常の仕事のかたわら、入社15年目前後の中堅社員5人を集めて独自の“活動”を始める。
「社内に“このままでは業界内での販売競争に負ける”という危機感がありました。そこで、仲間とともに社内外のキーマンに話を聞きに行き、情報を集めて対策を練ったのです。仲間の1人が、地元の小麦で勝負したいと言ったのですが、まだこの業界で道産品は見向きもされない時代でした」
やがて安孫子会長たちは1つの活路を見出す。業務用の粉では大手にかなわない。着目したのが家庭用だった。持ち前の機動力を活かし、改良を重ねてカナダ産を使った製パン用粉(パンミックス)を86年に商品化すると、札幌テレビ放送などで紹介され、問い合わせが殺到。さらにこの頃ホームベーカリーが市場に登場し、その影響で同商品の販売が大きく伸びた。また、一般消費者への販売方法を考える中で、直接販売を決断。当時、NTTがサービスを開始したばかりのフリーダイヤルを導入、商品の送付には、日本通運の提案を受け、まだ珍しかった代金引換宅配便を採用した。これが消費者に評価されると共に、フリーダイヤルは顧客の声を聞ける貴重な情報源となり、江別製粉の命運に大きな影響を与えていく。
「フリーダイヤルで寄せられる声には、“国産の小麦”でパンミックスを作れないか、という内容が多かったのです。なぜ、パン作りに向いているカナダ産ではなく、国産を求めるのか不思議に思ったのですが、お客様は家庭で手作りするものに、安心できる材料がほしかったのです」
86年にチェルノブイリ原発事故が発生、また、輸入農作物に農薬処理を施すポストハーベストが問題となり、消費者が海外産農作物に不安を持つようになっていたのだ。
顧客が求めるならと、唯一、パンが焼けるタンパク質量を持つ道産のハルヒカリという品種でパンミックスを試作したところ、意外とおいしくでき上がった。ところがハルヒカリが生産中止となり、代替品種として、もともとラーメンなどの麺原料として開発されたハルユタカにやむなく切り替える。これが、道産小麦と江別製粉の未来を変えた。
消費者が教えてくれたハルユタカの魅力
ハルユタカが生まれたのは85年、本格栽培は87年から始まる。春にタネをまいて夏に収穫する「春まき小麦」だが、病気に弱く、収量が天候に左右される弱点があった。しかし品質としては、パンミックスとして充分使えることもわかった。安孫子会長は商品化と共に、ハルユタカの普及に動く。さらに、それを後押ししてくれたのが東京でパン教室を主宰していた故・矢野さき子氏だ。87年、同氏著書『国産小麦でパンを焼く』が出版されたのを知り、仲間と共に読んだものの、ハルユタカには触れられていないことに気づいた。そこでその粉を編集部に送ったことが縁となり、矢野氏との出会いを果たすことになる。
編集部に紹介を受け、矢野氏宅を訪問すると、真っ先に「これは本当にカナダ産ではないの?」と聞かれた。「100%国産です」と安孫子会長が答えると、今度は「あなたの会社はどのくらいの規模ですか?」と問う。「中堅です」と言うと、「それなら安心だわ」と信頼してくれた。
「会社が大きすぎず、小さすぎないことに安堵されたのではないでしょうか。矢野さんがハルユタカで焼いたパンは香り高くて味もよく、このとき販売の本格化を決意しました」
同年、「北海道産小麦100%シリーズ」と銘打ち、家庭で扱いやすい5キロ単位のハルユタカを売り出した。もともとの顧客に加え、矢野氏やその多くの弟子たちも購入してくれ、売上は上がった。主婦など多くの顧客が、パンの焼き方を工夫し、ハルユタカの持ち味を次々と引き出してくれた。
「我々は粉を扱う専門家なのに、いったいこれまで何をやっていたのだ、と気づかされました。家庭のお客様からその魅力を教わったのです」
そのうち、町のパン屋や消費者グループなどからも注文が入るようになっていく。しかし一方、こうした流れに業界は揺らいだ。
「同業他社は我々の動きに反発しました。業界としては国産をこれ以上増やさない方針だったので、風向きは厳しかったですね。でも、しばらく経つと国産小麦を扱う会社も増えてきましたけれど」
ただ、さらなる課題は生産面だった。実は、ハルユタカは、収量が安定せず、作付面積が年々減少していたのだ。それを何としても救おうと、安孫子会長は農家の協力を得て栽培法の改善へ着手。最終的に、市内の故・片岡弘正氏が始めた「初冬まき」という栽培法にたどりつく。これは、春まきの小麦のタネを敢えて前年の11月にまき、雪の下で発芽・越冬させるもの。生育期間を長くとることができ、また収穫時期も早まることで収穫期の雨に当たらず、収量をぐっと上げることができることがわかった。92年以降、この栽培法による作付けが浸透していくことで生産は徐々に安定し、消えゆきかけたハルユタカは、命を繋ぐことができた。
小規模製粉プラントで“業界の非常識”に挑戦
環境を実現。写真は小麦を砕くロール製粉機。
(右)製造工程の検品ポイントで担当スタッフが粉の状態をつぶさにチェックする。
ント「F-ship」。名称はFlour(小麦粉)・
Farm・Food・Fit・Fine と、Small-sc
aled HighlyIntensive Plant(小
規模高集約型プラント)の頭文字から。
96年、安孫子会長は社長に就任し販売網を拡充、全国に代理店を増やしていく。併せて道産小麦の用途を広げ、主婦層に加えプロにも認知度を高めていった。98年には江別市の協力も得ながら「江別焼き菓子祭」を開催、道産小麦を使い、プロ向けの菓子コンペを実施。以降、4年ごとにテーマを変えながらイベントを続ける中で、この実行委員会が「江別麦の会」という組織に発展した。江別麦の会は道産小麦の普及活動などを行い、後に、産官学連携の先行事例として多くの表彰を受けることとなる。その成果の1つは2004年に誕生した「江別小麦めん」の開発である。小麦の生産から製粉・製麺のすべてを江別市内で完結した究極の地産地消めんで、市内の飲食店では、ラーメン、パスタ料理、サラダなどさまざまな形で活用された。なお、このような取り組みの積み重ねにより江別は“小麦”が特産品の1つとなり、市内の小学生向けには江別小麦を題材にした特別授業が毎年行われている。
こうした地域活動の流れを受けて建設したのが、2004年の小型製粉プラント「F – ship」だ。小麦を挽くロールなどの設備を独自設計し、小型でも高精度な製粉を可能とした。標準的なプラントは25トンの仕込み量が必要なのに対し、F -shipは1トン。これまでの仕込み量では難しかった地域限定、あるいは農家限定の“マイフラワー(私の小麦粉)”の実現につながった。産地限定粉は、後に一大ブームを引き起こす各地の「ご当地グルメ」や地域産品などに加工されるようになった。
また、標準的なプラントが連続製粉で前後の原料が混ざる可能性があるのに対し、F – shipは「挽ききり方式」を採用し、仕込んだ原料だけを製粉できる。結果、有機栽培小麦だけを製粉する有機加工食品認証も取得した。
の小麦 未来まき研究所」(上)。ハルユタカに関
わる人々によって実現した栽培法「初冬まき」へ
のオマージュの意味もこめ名づけられた。
「そもそも父は創業の頃、農家さんが持ち込んでくる小麦を手作業で挽いて粉を作っていました。その原点、“小さな仕事”に価値があると思ったのです」
14年には本社近くに「北の小麦 未来まき研究所」を設立。道産小麦粉を使った食品の研究・試作や、講習会用の製パン・製菓・製麺設備を完備、品質維持と小麦安定供給のための貯蔵施設も併設した。広い研修室を有し、道内外の職人を招いて製パン指導や講習会などを行っている。
このように業界の常識を次々と打ち破ることができた理由について、安孫子会長は「消費者と直接つながったこと」を挙げる。
「お客様の声が、私たちの意識を高めてくれたのです。社員や生産農家、行政も含めて周りの方も楽しみ、応援してくれた。まさに“三方よし”の関係です。いろいろと大変なこともあったけれど楽しかったですね。普通の“粉屋”の仕事じゃなかったからね」と笑う。これからもその思いと人々とのつながりを、北の小麦と共に紡いでいくことだろう。
東京中小企業投資育成へのメッセージ
以前、当社が投資育成から投資を受けていることを知った知人が、高く評価してくれたことがあります。
会社の資本がしっかりしていることは重要だなと思うできごとでした。
普段は江別にいるので、投資育成のセミナーなどに参加すると見聞が広まり、勉強になります。投資育成の力を借りながら、もっと財務基盤を強くしていきたいですね。
投資育成担当者が紹介! この会社の魅力
上席部長代理 チームリーダー
飯田越史
安孫子会長は、道産小麦の普及のため、新たな取り組みに果敢に挑戦され、その姿に惹かれた多くの仲間とともに成功を手繰り寄せられました。
江別製粉のさらなる挑戦を株主として末永く支援していきたいと思います。
安孫子会長から道産小麦を使用したマカロニは絶品とお聞きし、試してみたところ、モチモチ食感がやみつきになりました。みなさんもぜひご賞味ください。
機関誌そだとう204号記事から転載